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The Blues Road-4-


悪魔に魂を売った伝説のブルースマン、
ロバート・ジョンソンを追って。-4-

【前回までのあらすじ】

27歳で非業の死を遂げた天才ブルースマン、ロバート・ジョンソンの謎と神秘に満ちた足跡をたどるべく、アメリカ南部各地に点在する“ブルースの聖地”を巡った僕は、いよいよ最終目的地シカゴへと向かう。

クロスロードで手に入れた超絶テクニック
〈俺は動き続けてなくちゃいけない/ブルースが雹のように降りかかってくるんだ/日常が俺をくわえて振り回す/俺の後ろを地獄の猟犬がつきまとっている〉(『地獄の猟犬がつきまとう』より)

全29曲、41テイク、これが現在われわれが耳にすることのできるロバート・ジョンソンのすべてである。
彼は何を歌ったのか? まずは誘惑である。『虚しい恋』がウィリー・メイという女のために創られた曲だったように、ロバートは直接目の前の女性に歌いかけた。セックスは多くの曲に隠喩として挿入されている。女性器は、蓄音機や車のパーツや熟したトマトや池や化粧台など、あらゆるものの姿を借りて登場する。叶わぬ恋は嫉妬、諦め、後悔、性暴力といったかたちで歌われる。流離(さすら)いに対する憧憬も重要なテーマだ。郷愁を歌ったものもあるが、その対象は実際の故郷ではなく、理想化された空想上の場所であった。キリスト教やブードゥーの影響は彼の奥底にある罪の意識や漠とした畏れと対を成している。
歌詞を読み返すたびに、実はロバートがブルースを歌ったのではなく、ブルースがロバートという楽器を奏でたのではなかったかと思えてくる。真夜中の四つ辻(クロスロード)に立って2、3曲プレイすれば、悪魔がやってきて肩を叩く。悪魔にギターを渡して数曲プレイしてもらう。ギターが手もとに戻った時、あなたはどんな曲でも思いのまま‥‥。実際にロバートの演奏技術はある時期、飛躍的に伸びたとする証言がある。どんな曲でも一度聴いただけで直ちに再現してみせただの、じっと演奏を見つめられるのを極端に嫌い、曲の途中で背を向けたり、中座したりしただのと、超常的な力の介在を連想させるエピソードには事欠かない。

蛍舞うジューク・ジョイントの宵、お忍びで来た特別な客の話
待ちわびていた週末、ついに念願のジューク・ジョイントが体験できる。ホーリー・スプリングスはメンフィスの南東約50マイル。ここから道幅の狭い州道を南西に走る。当時はカーナビもグーグルマップもない。ギター屋のロッドが教えてくれたアバウトな道順だけが頼りだ。すでに日は落ちて、道の両側は人家の明かりもなく漆黒の闇。車のライトが照らすセンターラインだけが僕とこの世との繋ぎ目である。心細さも極まった頃、通りの右側に小さな明かりが見えた。看板も何もない小屋の前に数台の車が停められている。ジュニア・キンブローのジューク・ジョイントは陸にある絶海の孤島であった。
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2ドルのチャージを入り口で払って中に入る。午後9時半。ギターとドラムスが準備を始めたところだ。建物の造りからそこが元は教会であったことが分かる。15坪ほどの広さに客は30人ほど。比較的年配の黒人が多い。白人の姿もちらほら。
午後10時、演奏が始まる。ビール片手の男女でフロアが満たされる。ホワイト・ジーンズでキメた70歳くらいの爺さん、肩のタトゥーが浮いた感じの良家の行かず後家風白人女、なぜか給水ポットを手にして踊る男。ウエスト2メートル級の黒人女はコーラで体脂肪を増産させながら踊り、真っ赤なヘアバンドで気合を入れた婆さんは始終半目を閉じてニコリともしない。演奏される音楽はブルースと呼べるもの、呼べぬもの、いろいろである。カウボーイハットを被った老人がよろよろとフロアの中心に歩み出る。途中でぶっ倒れるのではないかと見守っていると、突然、飛び跳ねるように踊り出した。彼の皮膚をナイフで切ればブルーの血が噴き出すに違いない。
いつの間にやら客の数は50人ほどに増えている。戸外に出れば、車にもたれて演奏を聴いている連中も大勢いる。夜空は満天の星で、道ばたの草むらには地上の星よろしく、たくさんの蛍が尻を光らせて飛び交っている。さっきまでギターを弾いていた男が外に出てきた。男はこのジューク・ジョイントの持ち主、ジュニア・キンブローのせがれ、デヴィッドだった。彼は遥か異国からの珍客である僕を見つけ歓待してくれる。「ムーン・シャインって言うんだ」と言って回してくれたボトルには無色透明な液体が入っていた。グイとあおれば、これが滅茶苦茶にキツいのだ。デヴィッドによると、彼の父親がここをジューク・ジョイントとして使い始めたのは76年のこと。すでに述べたように、当時ミシシッピ・デルタ全域のブルースは都市へと流出しており、ジュニア・キンブローが相当な危機感を持ってこの場所を残そうとしたことは容易に想像ができる。
「ミック・ジャガーとキース・リチャーズがお忍びで聴きにきたことがある。キースは2度来た。最初は大人しく聴いていたけど、最後には一緒にプレイしていったよ」
デヴィッドはまるで同志のことを語る革命家のように、誇りを込めて、特別な客の話をするのだった。

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トウモロコシ畑の瞑想ドライブ。次第に雲の形が変わっていく
旅を始めて10日、ニューオーリンズでレンタルしたフォードの後部座席はいつの間にかおびただしい数のブルース音源で占拠されていた。サン・ハウス、サニーボーイ・ウィリアムスン、ジョニー・シャインズ、デヴィッド・ハニーボーイ・エドワード、ロバート・ロックウッドJr.、ハウリン・ウルフ、マディー・ウォーターズ‥‥、いずれもロバート・ジョンソンと直接あるいは間接に交わり、影響を及ぼし合ったブルースマンたち。そして僕は今、彼らの誰もが目指した“天上の都市”、シカゴを目指している。オートクルージング機能を時速70マイルにセットすれば、メンフィス”シカゴ間540マイル(約870キロメートル)はひたすら瞑想的な8時間余のドライブである。
アーカンソーからミズーリにかけては松林と牧草地の繰り返し。どこまで行っても山というものが拝めないのはこの旅のスタートから一貫して変わらぬところだ。巨大なアーチが見えれば、セントルイス。メンフィス以来の都市である。ここもブルースゆかりの街のひとつ、気がそそられるが、今回は断腸の思いで諦めて残りの時間をシカゴに譲ることにする。高層ビル群が背後へ遠退き、セントルイスへの未練を捨てればイリノイ州境。最初のルイジアナ州から数えて5つ目、この旅最後の州に入る。窓外は一面のトウモロコシ畑。行けども行けども果てしなくコーンである。こんな風景の中に生まれ育った者はいったいいかなる精神と神経の持ち主になるのだろう? などと考えながら直進する。実際、ハンドルを持っているのがばかばかしく思えるほどの愚直な直線である。わずかに雲の形や納屋のつくりの変化が北へ進んでいることを告げている。単調という言葉の意味を味わい尽くし、退屈への耐忍も切れかかった頃、ようやく〈シカゴ市内〉の表示が現れた。

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シカゴの夜に酩酊する。さて、悪霊の呼びかけは‥‥
〈ねえ、ベイビー、帰りたくはないのかい?/カリフォルニアの地へ、故郷のシカゴへ〉
(『スイート・ホーム・シカゴ』より)

どうも当時の南部の黒人たちはシカゴがカリフォルニアにあると信じていたフシがある。ことほど左様にシカゴは彼らの中で虚構性の高い場所だったのだろうか。
ホテルで荷を解くが早いか、僕はライブハウスを目指した。すでに午後9時、のんびりとシカゴ・ピッツァなど食っている暇はない。最初に入ったのはダウンタウンの〈バディー・ガイズ・レジェンド〉。エリック・クラプトンが敬愛するバディー・ガイズの店は客席数300、巨大で清潔で安全そうなハコである。着飾った白人客が大半を占める。ジョージ・ベイズ率いる今夜のバンドはパンチが効いていて悪くない。しかし、と僕はキャメルの煙を吐き出しながら考える。先夜のジューク・ジョイントとこの場所の決定的な違いについて。「魂」と「切実感」の有無について。たった今、歌い終わった女性ヴォーカルに拍手をし、指笛を鳴らす。でも、その音は先夜のそれとは別物なのだった。
ほどなく切り上げて、ノース地区の〈B・L・U・E・S〉に河岸を変えた。同じ通りの向かい側にある〈キングストン・マインズ〉とここの2軒はプロもたむろする場所だと聞いた。店内はダウンタウンの店よりよほど場末な感じがしていい。ステージのバンド、ウィリー・ケント&ザ・ジェンツが出す音もボニー・リーのヴォーカルもブルースそのものに操られているような響きがあった。ド素人の僕などに批評されるミュージシャンたちも気の毒だが、悪霊に魅入られた者だけが共有することのできるテンションというのがきっとあるのだ。この夜の僕には、食物のペーハーを試薬で測るのと同じくらい簡単に、ブルースの深度を測ることが出来る気がした。まあ、それが単なる思い過ごしでも誰かに迷惑をかけるわけじゃなし。
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深夜2時、〈B・L・U・E・S〉は閉店となり、向かいの店に移る。多くの客が僕と同じように通りを渡って流れた。タンクのような体つきそのものの野太い女声がダンサブルなナンバーを歌っている。今夜の最後の潮がステージに、そしてフロアに満ちている。ひとつの波長がその場のすべてを支配する。あらゆる楽器が自らの意思で鳴っているかのような音を奏でる。カップルのダンスは性行為そのものよりも艶かしい。
ヴォーカルが替わり、くるぶしが隠れるような丈の、タイトな金色のドレスに身を包んだ痩身の女がステージに上がる。フィナーレを飾るスローなナンバー。僕は放心して、ただただ椅子に座り尽くしている。テーブルの上のグラスの氷は溶け果てている。曲間に、例の亡霊が語りかけてきて‥‥などということは起こるはずもなく、シカゴの夜はいよいよ更けていくばかり。
(『The Blues Road』終わり)

※『The Blues Road』は、雑誌GQ Japan (嶋中書店発行)1999年9月号に掲載された記事・写真に加筆・再編集をしたものです。記事や写真の無断転載はご遠慮ください。(筆者)

Photographs by Tatsuya Mine

Yasuyuki Ukita • 2016年3月31日


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