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イルカ男の静かな生活。-1-

 

A Wild Dolphin Chase
”1”

「ジャック・マイヨールなんて、名前を聞くだけで虫酸が走るよ」男は心から憎々しげにそう言った──。
“ムッシュ・グランブルー”はそのとき、メンツを潰しかけていた。「恋人」という想定の野生イルカ、ジョジョと一緒に泳ぐシーンを収録しに島に来たのに、肝心のイルカが現れない。困ったマイヨールはジョジョの保護観察人である“その男”を呼びつけ、横柄な口ぶりで「ジョジョを呼んでくれ」と要請したのだった。“その男”の名はディーン・バーナル。肩にはジョジョと泳いでサンゴ礁に激突した時の創(きず)が生々しく刻まれていた。

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カリブ海の東の端に浮かぶ島で
とにかく、めちゃくちゃな暑さだ。
飛行機のタラップを降り、木造平屋建てのささやかな空港施設へと至るわずかな距離を歩くあいだに、日差しで脳天が禿げちまうんじゃないかと本気で心配した。
タークス&カイコス諸島と聞いて、それがどこにあるのかを即答できる人が日本に何人いるだろう? 中継地点のマイアミで何人かのアメリカ人と話をしたが、僕がその地名を口にするたびに誰もが決まって「えっ? どこだって?」と聞き返したものだ。タークス&カイコス諸島はカリブ海の東の端に浮かぶ40の島々からなる。僕が訪ねたのはそのなかのプロヴィデンシャルズという島だった。
カラカラと頼りなく回る天井扇風機の下で簡単な入国審査を済ませ(英国領西インド諸島に入国した)、荷物を受け取って、白い土くれの道に出た。レンタカーのオフィスは道の向こうの建物にあるという。再び射るような日差しの中を歩いてゆき、1台だけあったクルマを借りた。製造後10年以上は経っているスバルだった。左ハンドルのマニュアル車でエアコンなんかとっくの昔に壊れていた。キーを差し込んだ途端に嫌な予感がした。
同じ飛行機でこの島に戻ってきたディーンは颯爽とジープのCJ5で現れた。

ディーン・バーナルは、1962年にカリフォルニアで生まれ、大学を出てからはダイビングやキャンピングのインストラクターを生業としながら、アメリカ国内やメキシコを旅して回った。86年、カリブ海の島々を転々とした挙げ句、この人口8000の島に流れ着き、野生イルカのジョジョと運命の出会いをする。以来、彼は毎日のようにそのバンドウイルカと一緒に泳ぐようになり、ジョジョが政府から保護海獣に指定されたのに伴って、「公認イルカ保護観察人」に任命された。ディーンの活動は政府だけでなく、スイスに本部を置く動物愛護団体「ベルリーブ基金」によってもサポートされており、彼はこの組織から月々「多くはないけれど島の暮らしには充分な額」のサラリーを受け取って生活していた。また、捕獲され、水族館などで暮らすイルカを海に還す運動『イントゥー・ザ・ブルー』の一員でもあるディーンは、しばしば島から出て、会議に参加したり、講演を行ったりしていた。しかし、あまりビジネスは得意ではないらしく、ベルリーブ基金の「ジョジョ・プロジェクト」という名の口座には、わずか300ドルの残高しか残っていないと嘆いていた。

日曜日のせいか島はひっそりとしていた。木陰のバス停に佇む太った中年の女、ちっぽけな教会から聞こえる説教の声、すべてが平穏の象徴のようだった。僕のスバルだけがその静寂をぶち壊しにしていた。マフラーはバリバリと改造車のようなダミ声を上げている。カーブで減速するたびにエンストする。ノッキングの音を聞くなんて何年かぶりだった。だけど、僕は必死にディーンのジープを追いながら、かなりの上機嫌だった。実のところ、このどうしようもないクルマが島の気分にはぴったりだったのだ。
ディーンの家は海を見下ろす丘の上にあった。いや、海岸線から100ヤード、海抜300フィートというその立地は丘というよりも崖といったほうがいいかもしれない。家の前で表札がわりに鎮座する全長15フィートはありそうな発砲スチール製のイルカを見たときは、あまりの分かりやすさに卒倒しそうだった。15坪ほどの敷地の半分がバルコニーだといえば、いかにコンパクトな住居かわかってもらえるだろう。眼下には美しすぎてリアリティに欠ける海が広がり、遠く雷雲の下には虹まで掛かっていやがる。
部屋の様子もぜひとも報告したい。壁にはお約束的にイルカのポスターが律儀に並び、ソファの上にはイルカに関する書物が積まれ、冷蔵庫の上ではディーンとジョジョをモデルにしたブロンズ像が鈍く光っていた。
「ときどきここから朝の穏やかな海面にジョジョの背びれがバウウェーブ(船の船主が立てる逆V字型の波)を立てているのが見えることがあるんだ。そんなときは5分で僕も海のなかさ」

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ジョジョの保護観察人としての彼の仕事は、ジョジョと過ごして記録を付けることと、ジョジョに代表される海洋哺乳類とその環境を守ることの大切さを島の人々や外来者に説いて回ることだ。これまでに何べんも語ったに違いない「運命的な出会い」のくだりをディーンは恍惚とした表情で話し始めた。
「イルカってやつは思わせぶりなところがあってね、いつも何頭かの群れでやって来て、僕らと一緒に遊びたそうな素振りを見せる。ところが、こっちがいざその気になって近づこうとすると、ものすごいスピードで逃げ去ってしまうんだ。しかし、ジョジョの場合ははじめから違っていた。彼は1頭だけで現れ、友だちを探しているように見えた。最初に水中で目が合ったとき、しばらくはお互いを観察するようだった。僕のほうから追いかけたり、脅かしたりしちゃいけないことが何となく分かったから、僕はひたすら待った。やがて、ジョジョのほうから近づいてきたよ。僕たちは付かず離れずのまま何時間も水中を漂った。そして、ふいにジョジョはスッと向きを変えて暗い深みに消えていったんだ。2度目に会ったときジョジョは胸びれで僕の体に触れてきた。あの瞬間、ジョジョと僕は友だちになった」
それ以来、ディーンは毎日のように、長い日には11時間も、ジョジョと海で過ごすようになった。ジョジョは彼の腕をくわえて、ものすごいスピードでの海底散歩に連れて行ってくれたり、どこかで見つけてきたマンタ・レイをビーチまで追い上げるショーを見せてくれたり、ハンマーヘッド・シャーク(シュモクザメ)を頭突きで撃退してくれたり、カニやコンク貝のプレゼントをくれたりするのだそうだ。
「7フィートもあるナース・シャーク(コモリザメ)をプレゼントされたときはさすがに困ったよ」
ディーンが見せてくれた水中写真には、よれよれになったサメを抱えるようにして近づいてくるジョジョが間近に写っていた。

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 「政府公認イルカ保護観察人」の1日
保護観察人の1日は意外と遅く午前10時頃に始まる。日中の暑いうちはたいていリゾートホテルのプールサイドバーで情報収集という名の「ハング・アラウンド(暇つぶし)」をして過ごす。昨日は何時頃どこそこで誰それがジョジョの背びれらしきものを見たとか何とか、そういう情報だ。酒もタバコもやらないディーンはジンジャエールの水割り(!?)をがぶがぶ飲む。昼の間に島の学校や集会所でレクチャーをすることもある。ジョジョの写真を子供たちに見せ、保護することの大切さを教えるのだ。彼のようなマッチョが頭にバンダナを巻いて、マッドマックスに出てきそうな三輪バイクに跨って登場するのだから、子供たちの人気は絶大だ。
夕方、日も傾いて過ごしやすくなると、ビーチに戻り、ジョギングをしたり、カヤックを漕いだりしながらジョジョの現れるのを待つ。最近はジョジョの行動半径が広がり、ソクラテスという名(ディーンが勝手に命名した)の“恋人”もできて、少しずつディーンと遊ぶ頻度が減っているのだそうだ。そういうわけで、ジョジョが来なければ夕方の時間帯は単なるエクササイズ・タイムになる。
夕食を外で済ませたら、夜は執筆と研究の時間だ。ジョジョの観察記録を整理し、イルカや海洋哺乳類に関する文献にあたり、ラップトップに向かう作業は明け方の5時、6時まで続くという。ジョジョに関するレポートは単行本3冊分の分量になったとディーンは言った。

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崖の上のディーンの家からホテルへ戻る道すがら、小さな教会からゴスペルが聞こえ、思わずクルマを停めた。ライブで見聴きするその迫力は想像以上だ。遠巻きに覗いていると、いかにも気の良さそうな褐色の肌の女が「遠慮しないで入りなさいよ」と声を掛けてきた。ミニのドレスもパンプスも髪飾りも全部ゴールドでキメている。教会へはいつもそんな恰好で来るのかと訊くと、「シュア(そうよ)」と得意げに答えた。
教会のなかはさながらクラブだった。老いも若きも男も女も一張羅で着飾り、ジーザスがどうしたとか、愛がどうしたとかいうイノセントなフレーズに心から感動しているようだった。
曲の合間にバンドメンバーのひとりが「君はクリスチャンかい?」と僕に尋ねてきた。残念ながら違う、と答えると、そのキーボード奏者はこの世の終わりだとでも言わんばかりの悲しげな目で僕を見つめ、「ホワイ・ノット?(どうして?)」と糺(ただ)す。
僕は自分がクリスチャンでなかったことよりも、その男の純真に応えてやれないことが辛く、苦笑いで誤魔化しながら目を背けてしまったのだった。
なんてことだ。この島にいると、どんどん我が身が薄汚く思えてくるじゃないか!
(つづく)

Photographs by Joel Sackett (Dean), Takanobu Taniuchi (Dolphin)

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Yasuyuki Ukita • 2016年5月2日


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