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魂のボーダーへ -2-

 

La Frontera d’Espiritu
-2-

【前回のあらすじ】
先住民ウィチョル族が幻覚作用のあるサボテン“ペヨーテ”を求めて巡礼する聖地ウィリクタ。この地を目指したわれわれ一行は、起点となるレアル・デ・カトルセ村で一夜を過ごした。ここから聖地までは馬で行くことになっていた。

ペヨーテ巡礼の地をたどる
翌朝、空は紺碧に晴れ上がり、ピュアな大気のなかで景色は輪郭をガリガリに際立たせていた。黒っぽい土くれの、道なき道を、われわれを乗せた馬はひたむきに登り続けた。およそ名馬とは言い難い小柄で貧相な馬ばかりだったが、しかし、彼らはタフだった。われわれ一行のなかには、生まれて初めて馬に乗る者もいたが、誰一人、振り落とされることもなく乗馬を楽しむことができ、乗り始めてわずか半時間でギャロップ(駆け足)までできるようになる者もいた。多少の乗馬経験がある僕から言わせれば、それは乗り手の才能ではなく、馬が優れていたのだ。

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尾根を伝い、谷を渡り、馬の背になった草原を越えると、彼方にソンブレロの中心部のような形の山が見えた。ここまで3時間。一軒の家も一人の人間の姿も目にしなかった。あるのは太陽と、空と、土くれと、岩と、枯れた植物の残骸だけだった。最後の急斜面は馬を下りて歩いて登る。もうとっくに標高3000メートルは超えている。心臓がバクバクと脈打ち、呼吸が速まって喉がカラカラに乾く。腋のあたりにぐっしょりと汗をかいて到着した頂上には、はるか下界を見晴らす絶景が待ち受けていた。
ふと足もとを見ると、小石でつくったサークルがある。三重になった円の中心には焚き火のあと。それほど遠くない過去にここで火が焚かれたのだ。ウィチョルの巡礼者たちが儀式をするのに使うストーンサークルに違いない。確かに彼らの聖地に立っている、と僕は確信した。
ストーン・サークルから少し離れたところに粗末な小屋が建っていた。正面の壁には石のレリーフが掲げられている。ペヨーテのモチーフを中心に、その周りに鹿とトウモロコシと矢と三日月。ウィチョルの人々の世界観を端的に示す図柄だ。入り口を塞いだ鉄柵の間から小屋の中を覗くと、小動物の頭の骨、ビーズ細工などが雑然と散らばっている。聖地での儀式の前に、生け贄やお供え物をするのだとどこかで読んだのを思い出した。山の南側は急勾配の岩壁になっており、壁はそのままはるか数百メートル下方の平野に突き刺さっている。あのあたりがペヨーテの自生する「採集場」だろうか。

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明くる日、われわれは再び馬を引っ立てて、前日に山の上から見下ろした平野へと向かった。今度は山脈に沿った幅の狭い坂道を延々と下っていくルートだ。左側は谷底。馬がもしもよろめいて一歩足を踏み外せば、人馬もろともに谷底へ転落して一巻の終わりである。馬上の誰もが無口になった。こういう時、人は信仰の有無に関わらず、何かに祈りを捧げたい心境になる。無欲に、シンプルに、殊勝になる。そして生かされていることを強く感じる。
坂道を下りきり、干上がって流れのない川床を進み、小さな集落を過ぎると、レアル・デ・カトルセの村を出てから4時間が経っていた。
突然、ガイド役のフェルナンドが隊列を止め、ひとり馬から下りてブッシュに入っていく。このあたりにペヨーテが生えているのか? 僕らも馬から下りる。風はなく空気はひたすら乾き切っている。馬の鼻息が大きく聞こえるほどにあたりは静まりかえっている。立っているだけで、自分の生命が少しずつ磨り減っていくかのようだ。精神のボーダーを越えるために、人はこれほどまでに厳しい自然の中に身を置かねばならないのか。
しばらくしてフェルナンドが戻ってきて僕らを手招きする。言われるままについていくと、潅木の枝の間、彼が指差す地面に青磁色をしたボタン形サボテンの頭が辛うじて見えた。これがペヨーテか!

自分で見つけてみたくて、目を皿にしてあたりを歩き回ったが、その体の大半を地中に隠しているペヨーテを探し出すのは至難の業だ。歩けども歩けども、ひとつも見つけることができない。身も清めずに「神の園」に立ち入った罰が当たったのか、幾度もサボテンの針に刺されて悲鳴を上げることになった。巡礼者の苦労が思いやられた。

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村に戻り、土産物屋でウィチョルの人々のつくった民芸品を物色した。カラフルなビーズで埋め尽くされたボウルやマスク、羊毛刺繍による絵。いずれも膨大な時間と忍耐を要するに違いない労作揃いだ。僕らが山の上のレリーフで見たペヨーテ、鹿、三日月、トウモロコシといった図柄が随所に見られる。ジオメタリックな構図やサイケデリックな色合いはペヨーテによるトリップの中で与えられたビジョンを再現しているのだろう。神の領域のアート──。
「ペヨーテを食べると、神々と共に歩むことができる」
われわれのような旅行者がペヨーテを所持することは違法である。あんなに間近に実物を見ていながら、その“効能”を試すことができなかったのが僕には少しばかり悔しかった。

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〈追記〉
この旅のことは、その後も折に触れ、思い出す。記憶の中の旅は上等なテキーラのように純化され、映像ではなく感覚・感触として僕の脳裏に残っているようだ。あるいは僕は、あの山の上で、あの馬の背で、ほんの一瞬だけ魂のボーダーを越えたのかもしれない。試すことのなかった幻覚サボテンは、実はあの土地の霊的なパワーを象徴するもののひとつに過ぎなかったのかもしれない。そう考えたところでウィチョルの人々に迷惑をかけるわけでもあるまい。

Photographs by Takahito Shinomiya

※ 『魂のボーダーへ』は、「JOURNAL STANDARD 2003 SPRING-SUMMER」に掲載された記事・写真に加筆・再編集をしたものです。記事や写真の無断転載はご遠慮ください。(筆者)

Yasuyuki Ukita • 2016年7月29日


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