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僕とミゲルのチリワイン紀行3000キロ!

 

2015年、ついにチリワインはフランスワインを抜き、日本に輸入されるワインの第1位(量ベース)の座についた。某エアラインのファーストクラスのワインリストにチリワインが登場して話題になったのは2007年のこと。かつて「安くて、そこそこおいしい」程度の評価だったチリワインに大きな地殻変動が起こっていた。その現場を取材するべく、僕はその年の師走、冷え込む東京を抜け出して、初夏の南米チリに向かった。

“三銃士”のテイスティングからワインの旅は始まる
首都サンティアゴの空港に降り立ったのは午前6時30分だった。手荷物を持って出口から出ると、待ち人の名前が書かれたボードを掲げて、大勢の男たちが待ち受けていた。しかしそこには今回の旅の友となるはずのドライバー、ミゲルの姿はなかった。事前に聞かされていた電話番号に携帯から電話してみると、女声が応え、なにやらスペイン語でまくし立てられたかと思うと、いきなりガチャリと切られてしまった。チリに来てわずか30分で僕は途方に暮れてしまった。
やむなくタクシーを拾い、予約してあったサンティアゴ市内のホテルへと向かうことにした。走り出した車の窓を開けてまず感じたのは凄まじいばかりの空気の乾燥だった。鼻の穴の粘膜があっという間にカピカピになった。1541年にスペイン人征服者によって建設されたサンティアゴは、高層ビルの建ち並ぶ近代的な大都会だった。午前中こそ青い空の下アンデスの山並みまで見渡せるが、午後にはひどいスモッグで視界不良になるのだとガイドブックに書いてあった。ホテルの部屋で荷をほどき、新たに車とドライバーを手配して、最初の目的地、アコンカグア・ヴァレーに向かった。
首都の渋滞を抜け大陸縦貫道5号線を北上する。この道が南北アメリカ大陸を貫いてアラスカまで続いているのかと思うと痛快だ。15分も走ると、車窓の風景は一変した。道の両サイドに緑の沃野と灰褐色の荒れ野がかわるがわる展開する。遥か彼方には巨大な山々が尾根を連ねる。8㎞、いや12㎞、いったいどれくらい先まで見えているのかわからない。普段見慣れている風景とはまるでスケール感が違うのだ。チリの国土は約75万平方㎞(日本の約2倍)。南北の長さ4300㎞ほどに対し、東西の幅は平均175㎞しかない。南北に延びるアンデス山脈が太平洋に向かって急降下する地形がそのまま細長〜い国土になっているのだ。氷河を水源とする何本もの川がいくつもの渓谷を刻み、その底に平地をつくった。チリのワイン産地名のすべてにヴァレー(谷)という語が付くのはそういう土地の成り立ちから来ている。
最初に訪ねたワイナリーはヴィーニャ・エラスリス。1870年創業。チリで最も古くからあるワイナリーだ。歴史をそのまま煉瓦の壁と瓦屋根で囲んだようなコロニアル様式のヘッドクォーター。醸造家ロドリゴ・サモラーノは挨拶もそこそこに試飲室へと僕を招き入れた。

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厚くニスが塗られたサイドボードに3種類のワインがデキャンタージュされてテイスティングを待っていた。カベルネ・ソーヴィニヨン主体のドン・マキシミアーノ・ファウンダーズ・レゼルヴ、カルメネール主体のカイ、シラー100%のラ・クンブレの3つはこのワイナリーが誇るアイコン・ワイン(ワイナリーのコンセプトを端的に表す高級レーベル)の“三銃士”だ。僕が特に興味を持ったのはカイ。カルメネールという品種はボルドーが原産だが、かの地では絶滅したに等しく、今日ではチリ独特の品種と言える。ブラックベリーや胡椒の香り。ちょっと青臭くてスモーキーなニュアンスとシルキーなタンニン。初体験のユニークな個性だった。
「この10年くらいの間にチリワインが目指してきたボトムアップの牽引役を果たしてきたのが、これらのワインです」とロドリゴが説明する。
90年代半ば、チリワインは安価な割においしいということで世界的なブームになった。それはワイン造りにおける技術革新の賜物だったが、当時はまだ、ただやみくもにぶどうを育て大量のワインを醸造していたにすぎなかった。ブームを定着させるだけのクオリティがワインに備わっていなかったのだ。
「97年くらいからさまざまな試みが始まりました。畑では土壌や気候に合った品種に植え替えること。収量をぐんと減らしてぶどうの質を向上させること。山の麓の斜面に新たにぶどう畑を開いたのもその頃からです」
ぶどうは水はけの良い痩せた土地を好む。谷底に開けた平地は肥沃すぎ、水はけが悪くて良質のぶどうが育ちにくい。斜面なら、ぶどうに適した条件が揃う。とはいえ、斜面に畑をつくって維持するのは容易ではない。潅漑するための設備も要るし、日々の作業のたいへんさは平地の比ではない。コストは3倍かかるという。試飲の続きは戸外のぶどう棚の下のテーブルでランチを食べながらしようということになった。白金色に輝く初夏の太陽の下、ぶどう畑の緑の畝は山の中腹にまで延びていた。

レイダ・ヴァレーの涼しさは“潮風の贈り物”
滞在2日目の朝、ロビーに降りるとドライバー、ミゲルが肩をすくめて立っていた。彼は彼で、前日空港の出口で僕の現れるのを待って、2時間も立ちつくしていたのだ‥‥というようなことをスペイン語にジェスチャーを交えて言う。ミゲルは英語を話さない。僕はスペイン語がわからない。僕らは揃って途方に暮れてしまった。が、ともかく、われわれはサンティアゴの西方、レイダ・ヴァレーに向かった。太平洋岸に近いこのリージョンは98〜99年頃からぶどうが植えられ始めた新興勢力の地だ。
「この辺りで海から14㎞くらいです」
ソーヴィニヨン・ブランの若木が並ぶ丘陵地に立って、そう語るのはヴィーニャ・レイダの女性醸造家ヴィヴィアナ・ナヴァレテ。傾斜に沿って見下ろすと、ぶどうの葉の海の向こうに本物の海の水平線がぼんやりと見える。「冷たいフンボルト海流の影響で、チリでは海に近いほど冷涼になります。クール・クライメット(冷涼気候)ではぶどうの実はゆっくりと成熟します。それで、味わい深くて酸味のしっかりしたワインになるのです」
ここで栽培しているのはソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、リースリングなどの白用品種と赤用のピノノワール。いずれも涼しい気候のもとで本領を発揮する品種だ。僕が試飲したなかで特に気に入ったのは3カ月前に瓶詰めされたばかりのソーヴィニヨン・ブラン2007クラシックレゼルヴだった。シトラス系の爽快な香りの奥からタイムやエストラゴンの香りが立つ。ほどよいミネラル感は潮風の贈り物か?
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続いて訪ねたお隣のワイナリー、ガルセス・シルヴァではオーナー一族のひとり、マティアス・ガルセス・シルヴァが自ら操縦するヘリコプターに乗せてもらい、空からレイダ・ヴァレーを見学した。ゆるやかな起伏をもって広がる大地に整然と植えられたぶどうの木々は、丹念に織られた織物のように見える。ヘリが急旋回して丘を跨ぐようにして越えると、海へと注ぐマイポ川の流れが見えた。
「川岸に黒いパイプが見えるだろう? あれがわれわれの畑に水を供給しているパイプラインだよ。長さは8㎞ある」とマティアス。彼がヘリを飛ばしてどうしても見せたかったのは、この黒いラインに象徴される、ワイン造りへの熱き思いと多額の投資だったのかもしれない。
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「谷間」という言葉に対して僕たち日本人が抱くイメージとチリの「ヴァレー(谷)」の有様とは実際に移動するとかなりの開きがあることがわかる。ヴァレーは日本における都道府県くらいの規模なのだ。必然的に、移動のため車のなかで過ごす時間が長くなるのだが、共通の言語を持たない僕とドライバー、ミゲルとの交流はいっこうにはかどらない。僕は日本から持ってきたスペイン語会話集を開き、「アンブレ(腹が減った)」「カルロソ(暑い)」「フリオ(寒い)」「スエーニョ(眠い)」「エスペーレ・ウステ(ちょっと待ってて)」といった言い回しを調べ、ノートの隅にメモしておいたが、その程度では会話が弾むはずもない。やがて、ミゲルの方から、一語一語区切るような話し方で質問を投げかけてきた。ゆっくりでも早口でもスペイン語には違いないのだが、不思議なもので、その気になって聞けば、相手の言いたいことがわかってくる。歳はいくつか? 結婚はしているのか? 東京とサンティアゴとどっちの夏が暑い? そんな質問に僕は辞書を引き引き答えていった。

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思わず女性醸造家を抱きしめそうになった
われわれが次に訪ねたのはマイポ・ヴァレー。サンティアゴに近く、またぶどう栽培、とりわけカベルネ・ソーヴィニヨンに向く自然環境に恵まれていたこの地では19世紀から多くの生産者がワイン造りをしてきた。1880年創業のサンタ・リタもそんなワイナリーのひとつだ。巨大な醸造設備には不釣り合いに小さなオフィスで女性醸造家のヴィヴィアン・アラモに迎えられたとき、思わず彼女を抱きしめそうになった。彼女が小柄でキュートだったからというのが主たる理由ではない。サンタ・リタは僕にとって忘れ得ぬ追憶の銘柄だった。あれはもう20年くらい前になるだろうか、ワインラヴァーの道の入口あたりをうろついていた僕は東京・恵比寿のワインショップに当時1200円で売っていたサンタ・リタのカベルネ・ソーヴィニヨン レゼルヴァの凝縮感に惚れて何本も飲んだものだ。サンタ・リタという響きは、今より少しやんちゃだったあの頃の自分へとつながっており……。がらんとした会議室のような部屋でヴィヴィアンと白・赤合計7種類のワインを試飲した。赤用のぶどうは大半がマイポ・ヴァレーのものだが、白用のぶどうはカサブランカやレイダといった海沿いの地区から来ている。60年代に個人の土地所有が禁じられた時代があったのと、この国のワインビジネスには巨額の初期投資が不可欠なことが理由で、チリのワイナリーの大半はサンタ・リタのような大企業である。広大な畑を各地に持ち、その土地に合った品種を植えて、赤・白・ロゼと多様な商品構成で市場に臨むというのが一般的なスタイル。試飲したなかでちょっと驚きだったのはトリプルC2004。その名は使われた3つの品種 ──カベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、カルメネールから来ている。緻密でふくよかな味わいはボルドーのサンテミリオンやポムロールの逸品に通じるものがあった。
「リストにはないけれど、もう1本試飲してもらいましょう」と言ってヴィヴィアンが持ってきてくれたのは「思い出の」カベルネ・ソーヴィニヨン レゼルヴァ(2005)だった。相変わらず黒い果実の香りの濃い、チャーミングなワインだった。

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ドライバー、ミゲルは一日の仕事を終えると、どんなに遅くともどんなに遠くても、愛する妻の元に帰るので、夕食は毎日僕一人で摂ることになる。チリの食事について述べよう。ものすごくざっくりと言えば、この国の食卓は肉とポテトを中心に成り立っている。調理法はローストするか煮込むか。シンプルそのもの。残念ながら、洗練からはほど遠い。主食はパン。パンと一緒に出てくるペブレ(トマトとタマネギのみじん切りにコリアンダーとトウガラシを加えたもの)はちょっと病みつきになるおいしさだ。首都や沿岸の町では新鮮なシーフードにありつける。サーモンやエビを日本に輸出している漁業国だけに、寿司バーも多い。食事のお供はチリワイン、と言いたいところだが残念ながらそうではない。ワインは輸出品という意識がずっと強かったのだろう。人びとがレストランなどで飲んでいるのはたいていコーラだ。アルコール飲料として主に飲まれるのはビールと、ぶどうから造る蒸留酒ピスコ。最近になってようやく都市部の若者を中心にワインを嗜む風潮が見られるようになり、チリワインの並んだリストを置く店もあるが、まだまだ郷土料理とチリワインのマリアージュ(ペアリング)まではほど遠いのが実情であるらしい。
(つづく)

Photographs by Yasuyuki Ukita

Yasuyuki Ukita • 2016年8月29日


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