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イルカ男の静かな生活。-2-


A Wild Dolphin Chase
”2″

【前回のあらすじ】
野生のイルカ“ジョジョ”と友だちになったアメリカ人、ディーン・バーナル。「政府公認イルカ保護観察人」の日常を覗くために僕はカリブ海のタークス&カイコス諸島を訪ねた。そこに待ち受けていたのは、現地の人びとの純真だった。

イルカたちのほうが彼を追っていく

この島に来る前の1週間をディーンと僕はバハマ沖に浮かぶダイビングボートの上で過ごした。島影ひとつ見えない、視界は360度水平線という大海原を漂いながら、マダライルカの群れが遊びに来るのを待ち、彼らが現れるたびに一緒に泳ぐという呑気な日々だった。
イルカの群れに出会うと、僕らは普通、感激のあまり彼らを追いかけ回してしまう。しかし、時速25マイルで泳ぐ相手に追いつけるはずもなく、彼らとの遭遇も束の間ということが多いものだ。しかし、ディーンはイルカに対してまったく逆のアプローチをした。イルカのいる海に飛び込むと、彼は群れには目もくれず、真下へと潜る。水深7メートルほどの海底に達すると、両手で砂を攪拌して見せるのだ。イルカたちはディーンが美味しい獲物を見つけたのだと思い込んで、向こうから覗きにやってくる。しまいにはイルカたちのほうがディーンを追っていく始末だ。
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イルカが来ないときには、エイやウミガメを相手に泳いだり、コンク貝やロブスターを採ったりしたのだが、そんなときにはディーンがイルカのように見えた。水中の彼はとにかく速い。おまけに素潜りで水深10メートルは軽く、潜水時間は3分に近い(静止した状態での「息こらえ」なら10分以上の記録を出す人もいるが、泳ぎながらとなると、1分ももてばかなり息が長い人ということになる)。たった一世代で海洋哺乳類へと進化しつつあるホモサピエンスにとって大切なのは、潜ることのできる深さであり、長さであり、スピードであって、僕らが都会のしみったれたプールで気にしているクロールのフォームなど、なにほどのものでもないのだ。
ディーンと海の出会いは幼児期の臨死体験に遡る。取材当時31歳だったディーンは、それまでの半生で3度も生死の境をさまよう体験をしていたが、その最初が3歳、海で溺れたときだった。彼の生まれた家にはいまだに、ぐったりしたディーンと彼をなんとか蘇生させようと右往左往する大人たちの様子を記録した8ミリフィルムが残っているという。
死は怖くない、安らかなものだ──それが幼いディーンが臨死体験から得た教訓だった。下手をすると、水恐怖症になっていたかもしれないような試練が、逆に彼を水の申し子に育て上げたのだ。まったく出来すぎた話もあったもんだ。僕はなかなか耳抜きのうまくいかない右耳に苛立ちながら“ミスター・ダイハード”の話に相槌を打っていた。

 新月の夜のナイトダイブ
島ではディーンはいつも裸足だ。お陰で足の裏はLLビーンのガムシューズのソールのように硬く進化(退化?)している。僕も彼の真似をしてしばらく裸足で歩いてみたが、すぐに有刺植物の棘にやられて悲鳴を上げることになった。
フィッシャリーで漁師たちから情報収集をするというので、ついて行った。海に面したヴィレッジの名はブルーヒル。悪くない名前だ。色とりどりの塗料で塗られた小さな家が軒を連ね、道には、およそ確たる目的地があるとは思えない足取りの男たちが歩いていた。フィッシャリーとは水産加工場のことだが、そこは何というか、もっと原始的な場所だった。波打ち際に据えられた木製の丸いテーブル(送電線のケーブルを巻いておくやつだ)で3人の女たちがグルーパー(ハタ)とかスナッパー(フエダイ)といった巨大な魚を解体している。6人の子供と1匹の犬が歓声を上げながらそれを見物していた。
ディーンは作業する女たちと少し言葉を交わしていたが、ジョジョに関する情報というよりは、罪のない戯れ言のようだった。やがて彼のターゲットは子供たちに変わった。ディーンはリュックからジョジョの写真を取り出し、子供たちに見せる。次に双眼鏡を持ち出し、彼らに覗かせる。
「ほら、ジョジョが来ていないか探してごらん」
双眼鏡を目に当て、真剣に海の彼方に目を凝らす年長の少年。順番待ちの子供たちはてんでばらばらに逆立ちしたり、ボクシングをしたりしている。最後にディーンがイルカの絵の入ったバッジを配ると、宙返りを決める子、奇声を上げて走り回る子、狂喜乱舞の喜びようだ。
「一尾持っていきなよ」
女のひとりがそう言って持ち上げた魚はディナーに使えば優に15人分は賄えそうに見えた。
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“イルカ部屋”に戻ってディーンの話の続きを聞いた。

──島の暮らしが退屈だったり、寂しかったりということはないの?
「ジョジョが来ないときは退屈だな。でも、この島だって見かけによらずスリリングなところがあって、リゾート開発にブラックマネーが絡んでいたりするし、すぐ隣のハイチじゃ政情不安だろ。逃げてきたやつもいっぱいいる。ときには孤独も感じるけど、僕は生来、ひとりが好きなんだ。ジョジョと一緒のときには何日も人の姿を見ないこともあるよ」
──ガールフレンドはいないの?
「この島に来て7年間の間に何人かの女性と付き合ったけど、生活のリズムが違いすぎてすぐ駄目になった。ジョジョが現れたら、僕はいつでもそっちを優先してしまうからね」
──ずっとこの島で暮らすつもりなの?
「ジョジョは少しずつ自分たちの世界へ戻りつつある。いずれは別れるときが来るだろう。そうしたら、今度は山のなかででも暮らそうかと思っているんだ。そしていずれはカリフォルニアに戻るつもりだ。カレッジで中断したままの勉強をやり直したいんだ」
その夜が新月だと気付いたディーンはナイトダイブに出ようと言い出した。
シュノーケルとフィンを持ってビーチに出た。真っ暗な海の中では自分と海水の境界線も曖昧な感じがした。深く潜って見上げると、天の川のきらめきが海底まで届いていた。
「星を見ているのは陸上の動物だけだと思ったら大きな間違いなんだ」とディーン。ちくしょう、そんなこと、ちっとも知らなかった。
ジョジョがいつもしてくれることを体験させるから腕を貸せと言う。ディーンが僕の腕を取り、速度を上げて移動すると、指先なら肩にかけて無数のグリーンの光が走った。夜光虫だ。
「ときには海底の何もかもがこのグリーンの光に燃え上がって、昼間以上によく見えることがあるんだ」
不覚にも、僕はその夜の海でディーンのお伽話にうっとりしてしまった。

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もはや愛着と呼ぶべき心情を抱いていたスバルをレンタカーのオフィスに返却し、再び木造平屋建ての空港施設に入るとき、僕は何かしら「負けた感じ」に包まれていた。それははるばるカリブ海までやってきたのに、結局ジョジョの姿を拝むことができなかったということも確かにあった。しかし、より強力に僕をとらえ、決定的に打ちのめしていたのは、もっと根の深い、名状しがたい気分だった。

〈追記〉
野生イルカのジョジョと親友になったディーン・バーナルのことを知り、カリブ海まで取材に出かけてから22年の月日が経った。今回、記事を再編集するにあたり、久しぶりにディーンに連絡を取ってみた。ソーシャル・メディアのおかげで、ディーンの連絡先は簡単に見つけることができた。54歳になる彼は現在、ターコス&カイコス、サンフランシスコ、そしてハワイの3箇所を行き来しながら暮らしているそうだ。ハワイでは障害を持つ子供たちを自然と海の力で癒すプロジェクトを行っている。
ジョジョは、今も健在で、5頭の子供イルカと長年のパートナーである雌イルカとの7頭でポッド(群れ)を作って暮らしているとのこと。
ジョジョの最新の写真を載っけておこう。
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Photographs by Joel Sackett (Dean), Takanobu Taniuchi (Dolphin)
※『イルカ男の静かな生活。』は、雑誌エスクァイア日本版(エスクァイア マガジン ジャパン)1994年3月号に掲載された記事・写真に加筆・再編集をしたものです。記事や写真の無断転載はご遠慮ください。(筆者)

Yasuyuki Ukita • 2016年6月1日


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