CREEZAN

The Blues Road-1-


悪魔に魂を売った伝説のブルースマン、
ロバート・ジョンソンを追って。-1-

銀座のレコードショップのフロアで旅は唐突に始まる
あれからいったい何年経ったのだろう?
その夜、とある出版社の編集室で、いつ終わるとも知れぬ徹夜仕事にアゴを長くしていた僕の耳に、古びたモノラル録音の、聴いたこともないギター演奏が飛び込んできた。まくし立てるようなヴォーカルを伴ったその音楽は、疲れてぬかるみのようになった僕の神経叢を予期せぬアングルから刺激し、体表のそこここにチリチリとした疼きの感覚を散らせた。
いったい、これは何なのだ?
僕は心に浮かんだ疑問の言葉を口に出し、部屋の奥のオーディオの前で作業をしていた仕事仲間のナゴヤくんにぶつけた。彼がCDか何かでその音楽をプレイさせた張本人に違いなかった。
「あ、ボリューム、少し下げますか?」とナゴヤくんはトンチンカンな答えを返した。
きっと僕は興奮の余り詰問口調になっていたのだろう。
ナゴヤくんによると、それはロバート・ジョンソンという古い時代のブルースマンのコンプリート・レコーディングであるらしかった。
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徹夜の日からほどなくして僕は1937年に録音された、その2枚組のアルバムを手に入れた。
しばらくは毎晩ベッドで聴いた。当時のお粗末な録音機材のせいか、少しくぐもった声が「キッチンへおいでよ」とか、「故郷のシカゴへ帰りたくはないのかい」などと歌うのを、僕はまるで私的な宗教の儀式のように、繰り返し聴きつづけた。
アナログ時代なら「擦り切れるまで」と表現するところだが、ありがたいことにCDは幾度回しても磨耗しなかった。聴いても、聴いても、聴き飽きるということがなく、逆にその音楽の独創性は深みを増すていくかのようだった。
2年の歳月が流れた。かつての「熱病」もいつしか治まり、例の2枚組CDはラックの隅で埃を積もらせていた。そんなある日曜の午後、僕は銀座のレコードショップでロバート・ジョンソンと2度目の出合いをすることになる。これといったあてもなくフロアを物色していた僕は、聞き覚えのある甲高いヴォーカルに思わず足を止めた。久しぶりの疼きが体を走る。反射的に音の聞こえる方を振り返ると、そこにはTVモニターがあり、あの男の生涯を辿ったドキュメンタリー・ビデオが流されていた。ジョン・ハモンドという白人ミュージシャンがロバート・ジョンソンゆかりの地を訪ね、“伝説”を知る人々にインタビューしていた。
僕を釘付けにしたのは、ドキュメンタリーの背後に映し出されるミシシッピ・デルタの風景だった。およそ非観光的ではあるけれど、ロバート・ジョンソンの音楽世界そのままの、心を抉るような土地─。それぞれの旅に起点となる一点があるとしたら、今回のそれは銀座のレコードショップの、2階フロアの一隅だったということになる。

犬のように吠えながら死んでいった男の生涯
ロバート・ジョンソンがどんな人物だったのか、どんな生涯を生きたのかを示す資料は、当時はとても少なかった(今でもけっして多いとは言えないが)。例えば彼の肖像写真は死後50年も経った1980年代後半にようやく2枚が発見されたのみ。ブルース史研究家による数冊の本、CDのライナーノートに寄せられた解説文、ソニー・ミュージック・エンターテインメントがまとめた件(くだん)のビデオが資料と呼べるもののすべてだったが、当たってみると、それぞれの記述に食い違いがあったりして手に負えなかった。けれど、それは無理もないのだ。彼はわずか27年間しか生きていないのだし、おまけに神出鬼没の放浪者。当時のアメリカ南部における黒人の立場を考えるなら、彼の人生のアウトラインだけでも残されていることが奇跡的だと言えるだろう。そして、考えようによっては、この「不確かさ」が彼の纏(まと)った神秘を増しているとも言える。ともあれ、彼の短いけれど波乱に満ちた生涯をまとめると、このようになる─。

ロバート・リー・ジョンソンは1911年5月8日、アメリカ・ミシシッピ州ヘイズルハーストで土地持ち農夫の妻と間男のあいだに生まれた。幼時から南部各州の飯場や綿花農場を転々とする流浪の生活。10代半ば、音楽に興味を持ちはじめ、ハーモニカやジョー・ハープ(口琴)を奏で、やがてギターを操るようになる。17歳で最初の結婚をするが、お産で母子ともに失うということが起こり、その頃から、自分は悪魔に魂を売ってギターの才能を手に入れたのだと吹聴するようになった。デルタ各州をはじめ、遠くはニューヨークやカナダまで無賃乗車とヒッチハイクで旅をしては街角やジューク・ジョイントと呼ばれる黒人酒場でブルースを聴かせて食い扶持を得るという暮らし。女癖の悪さは天下一品、訪ねる町々で女を作り、滞在中の身の回りの面倒を見させたという。また、数々の偽名を持ち、どこからともなくやってきては、いつも忽然と消えてしまう。その男がスペンサーと名乗ろうが、ムーアだと自己紹介しようが、ロバート・ジョンソンだったかどうかを見極める決め手は、その男のギターの腕前もさることながら、何よりも神出鬼没かどうかだったという。
1938年の夏、ロバートは自分がステージに出て演奏していた店のオーナーの女房を寝取り、嫉妬にかられた亭主に毒を盛られてしまう。いまわの際には犬のように吠えたとも伝えられる。享年27歳の夭逝。その年の暮れにはニューヨーク、カーネギーホールでの黒人音楽をフィーチャーしたコンサートに出演することが決まっていた‥‥。

ジュースのアルミ蓋で奏でるレイジーなタップ
マリオット・ホテルの40階の部屋の窓からはミシシッピ川の蛇行が見下ろせる。アメリカ随一の大河というわりには、その川幅は思ったほどではない。開かない窓のガラス越しに川面を航くスチーム・ボートの奏でるスチーム・オルガンの調べが聞こえる。いささかテンポが速すぎて、長旅の疲れを癒す音とは言い難い。
伝説のブルースマンの死から59年目の夏、僕はブルースロードを辿るべく、とっかかりの街、ニューオーリンズに来ていた。ここからミシシッピの流れに沿って遡上し、ロバート・ジョンソンゆかりの地を歴訪しながら、当時のブルースマンたちが「天国」と同義語に使った都市シカゴまで行って見るつもりだ。ナゴヤくんのCDから8年、あの夜更けに僕に棲みついた亡霊はとうとう僕をディープ・サウスまで引っ張り出してしまた。blues road-001
残念ながら、ロバート・ジョンソンがニューオーリンズにやってきたという確かな記録はない。しかし、彼の生涯が当時の南部に生きるアフリカン・アメリカンの夢の成就(非業の結末はともかく)を象徴するものであったとするならば、シカゴという北極星を目指す旅はぜひともこの街から始められねばならない。この街の港こそは彼らの祖先が“商品”として水揚げされた場所だったのだから。
7月のニューオーリンズは暑気と多湿でむせ返るようだ。昼間はエアコンの効いた室内でおとなしく過ごすのが賢明である。バーボン・ストリートのシーフードレストラン〈マイク・アンダーソン〉の窓際の席に陣取り、ガンボ・スープやキャットフィッシュ(なまず)のフライで英気を養いつつ、夜の到来を待つことにする。なまずはミシシッピ流域における貴重で美味なタンパク源だ。この旅の間じゅう、ぼくは2日と開けずに、多い時には日に2度もなまずを食べることになるのだが、どこで食べてもそこそこに旨く、食べつづけても食い飽きず、熱暑に打たれた後でさえ、これを食べれば元気が出てくるのだった。
窓の外、通りの向こうで黒人の、まだあどけない感じの少年がタップを踊りはじめる。スニーカーの底にジュースのアルミ蓋を貼り付けて、それがカポカポと音を出すという仕組み。少年の前に置かれた、小銭を恵んでもらうための空き箱はいささか大きすぎるようだ。軽快というにはほど遠いレイジーな響きが通りを渡ってくる。片方の靴底からジュースの蓋が剥がれ落ちる。今のところ、少年の芸当にコインを差し出す通行人はいない。

はなむけは、路上の「スイート・ホーム・シカゴ」
 日が傾いて幾分かは過ごしやすくなってから旧市街フレンチ・クォーターを歩いた。前世紀の名残をとどめる美しい家並み。複雑華麗なレース模様の装飾を隣家と競い合う鉄のバルコニー、ブードゥー・ショップの怪しげなディスプレー。風船細工にパントマイム、ストリップ・ショーの呼び込み、遠くから聞こえるサックスの音色。ああ、まさしくここは夏の夕べのニューオーリンズなのだ。セント・ルイス大聖堂の前の広場に人垣ができ、その真ん中で2人組のストリート・ミュージシャンがその日の小銭を稼いでいる。
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腰を下ろしてしばらく聴くことにする。2曲目はロバート・ジョンソンの『スイート・ホーム・シカゴ』。オリジナルよりはずっとポップなプレイとなったが、旅の最初にふさわしい、嬉しい奇遇だった。曲が終わるや、取り巻きから「よお、ジョークを言う前にもう一丁、演(や)ってくれ!」と、好意的なヤジが飛んだ。
日もとっぷりと暮れ、バーボン・ストリートにお誂えむきの満月が昇る。〈バーボン・ストリートに月さえ出ていたら/あなたは私の影を見ることも、足音を聞くこともないだろう〉と、スティングが歌ったミステリアスな月だ。月が出ると、この街の魅力が俄然引き立つのはなぜだろう。もしかしたら、かつて炎天下の苦役に耐えた黒人奴隷たちの怨念が月に宿って、見上げる者に呪いをかけているのかもしれない。
(つづく)

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Photographs by Tatsuya Mine

Yasuyuki Ukita • 2015年12月29日


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