女王陛下のスパークリングワイン!
The Queen’s Bubbles -1-
ほんの10年くらい前まで、「イギリスのワイン」という言葉は、あり得ないことを示すジョークのための言葉だった。ところが真実はテムズ川を潜行する(と噂される)巨大水生動物のように静かに、しかし、着実に居場所を替えていたのだ。今日では、絶対的な“王様”であるシャンパーニュを向こうに回し、丁々発止を繰り広げるようにまで急成長したイギリスのスパークリングワイン。その現場を見に出かけた──。
イギリスにだってワインはあった
壮大な旅の話から始めよう。人類がワインを造って飲み始めたのは紀元前8000年頃、現在のジョージア(グルジア)周辺でのことだったと言われる。ブドウ栽培とワイン造りは黒海沿岸部から南下してメソポタミアに広まり、紀元前4000年代には古代エジプトに伝わる。フェニキア人によって古代ギリシャへ紹介されたワインはローマ帝国の拡大とともに地中海沿岸からヨーロッパ内陸部へと歩みを進めて行く。こうしたワインの伝播の過程を、人類がアフリカから世界中に拡散していった様になぞらえて、「ワインのグレート・ジャーニー」と呼ぶ。
順調に世界へと拡散していたかに見えたワイン造りだったが、当然、ブドウ栽培の適地には限界があった。最大の敵は寒さだ。地球が温暖化と寒冷化を繰り返すたび、ブドウ栽培の北限も渚に寄せる波のように北上と南下を繰り返した。今から15年くらい前まで、商業ベースに乗せられるワイン生産の北限はフランスのシャンパーニュ地方だとされていた(シャンパーニュの中心都市ランスはパリよりも少し北に位置する)。2000年代の前半、死者が出るほどの熱波がヨーロッパを襲うと、ワイン関係者は、「この分だと、近い将来、イギリスでワインが造られるようになるぞ」と冗談を言い合った。ジョークにされるほど、「イギリス」と「ワイン」とは互いに相容れない言葉だったのだ。
しかし実際にはイギリスのワイン造りには長い歴史がある。“征服王”ウィリアム1世(在位:1066年〜1087年)はイングランドを征服してノルマン朝を開く際にフランスからワイン造りに長けた修道士たちを伴ったことが知られており、1086年編纂の世界最古の土地台帳〈ドゥームズデイ・ブック〉には修道院が所有する42のブドウ畑が記載されている。ただ、その後のイングリッシュ・ワインは決して隆盛とまではいかなかった。黒死病の流行があり、ヘンリー8世によるローマカトリックとの決別があり、ビールの流行があった。なかでも打撃だったのは12世紀以降続いた地球規模の寒冷化だった。フランスやポルトガルから良質のワインが輸入できたこともイギリス国内のワイン造りを減速させた。
歴史の闇のなかに置き去りにされ、忘れられてしまったイギリスのワイン造りが、火鉢の灰の下の熾きを吹き起こすように再燃させられたのは第二次大戦後のことだ。比較的温暖なイングランド南部地方に、そこと気候条件の近いドイツのブドウ品種やハイブリット品種(交配種)が試みに植えられ……。と、ここまでは泡の立たないワイン(スティルワイン)の話。シャンパーニュがなぜシュワシュワと泡を立てる発泡性なのかというと、寒冷地で穫れるブドウは酸味が強く、それで造るワインは柔らかさに欠ける手厳しい味わいのものになる。が、これをスパークリングに仕立て、ドサージュという手法で甘みを加えると、口当たりがよくなり、スティルワインとは全く別の魅力を帯びるからだ。「地球温暖化」という言葉がメディアを賑わせ始めた1980年後半になると、シャンパーニュの主要品種であるシャルドネ、ピノノワール、ピノムニエに絞ってブドウを栽培し、シャンパーニュと同じ製法(泡を生み出す二次発酵をボトル内で行う)でスパークリングワイン造りを手がけるワイナリーが出現し始めた。
シャンパーニュ地方と同じ土
1988年という年号と〈ナイティンバー〉という名前は今後、イングリッシュ・ワインが語られるたびに繰り返し登場することになるだろう。この年、アメリカ人の富豪でアンティーク蒐集家のモス夫妻がイングランド南部、ウェスト・サセックスのナイティンバーという荘園と屋敷を購入した。古くはヘンリー8世(ローマカトリックとの決別!)の第4夫人の住まいだったところだ。モス夫妻はエステート内にシャンパーニュ系品種を新植し、収穫を待つこと4年、92年にブラン・ド・ブラン(白ブドウだけで造るスパークリングワイン)を初めて造った。ボトル内での熟成を経てリリースされたのがさらに4年後の96年のこと。このワインがいきなり国際的なコンペティションで「ベスト・スパークリングワイン賞」を獲得して、世間を驚かせることになる。さらに翌年にも同賞を連続受賞したことで、イングリッシュ・スパークリングの躍進はフロックではなかったことが証明された。
この快挙に勇気づけられた人々が続々と“ナイティンバー現象”の後を追う。イングリッシュ・ワイン・プロデューサーズ(22の有力生産者からなるイングリッシュ・ワインのPR組織)によると、現在イギリス全土に423のブドウ畑があり、128のワイナリーがワインを醸造している。スパークリングワインは全生産量の約60%を占める。
「われわれの成功の鍵の一つは恵まれた土壌にあります」と力説するのは〈リッジ・ヴュー〉の創業者でワインメーカーでもあるマイク・ロバーツ氏。「うちのブドウ畑の土を50cmも掘れば、真っ白なチョーク(白亜質石灰)が出てきます。これはシャンパーニュ地方の土壌とまったく同じものです」
コンピュータ・ソフトウェアの事業で財を成し、その資金を投入して1994年にワイン造りに参入したロバーツ氏は、ワイン産業への貢献を認められて、エリザベス女王陛下から勲章を授かったリーダー的存在。当初フランスにブドウ畑を買うつもりだったが、地元イースト・サセックスの土地を調査した結果、チョーク質が基底にあることを知り、方針を転換して地元でのワイン造りに踏み切った。
ジャマイカのレゲーシンガー、ジミー・クリフが『遥かなる河』で歌ったドーバー海峡の真っ白な崖を成しているあの脆い土は太古の海の生き物の死骸が蓄積したもので、炭酸カルシウムに富み、ブドウに美しい酸と複雑な風味を与える。シャンパーニュと同様、フランス北部に位置し、辛口白ワインの名酒を産するシャブリも同様の地質が露出した土地である。
(つづく)
Photographs by Taisuke Yoshida