マーキュリーとライカ

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札幌IMAIコレクションで
拝見したライカの話の続きを記すと予告しておきながら、ライカと関係ないビジュアルが出てきていますが、これは東京の地下鉄を知る人には見覚えのあるオブジェだと思います。まだ東京メトロが帝都高速度交通営団と名乗り、営業路線は銀座線のみで丸ノ内線すら開通していない時代。その出入り口にはマスコットとして彫刻家の笠置季男氏によるマーキュリー像が設置されたのでありました。その後このオブジェは設置場所を転々と移したようです。私がその存在に気づいたのは1970年代の半ばで、進学塾に地下鉄で通う小学生でした。都心に散在するパブリックアートには子供心にうさんくさいものしか感じていませんでしたが、銀座駅や大手町の乗り換え通路など地下鉄の構内に突如として現れるマーキュリー像には強く惹かれたのを思い出します。

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いま見ても、その新鮮な印象は変わらないです。1951年に初設置されたオブジェということですが、様式としては戦前に出現し戦後には消滅してしまったイタリア未来派やロシアアバンギャルドなどに近いものを感じる作風です。高度に抽象化された造作に込められたテーマは“強靭な意思”と“スピード”であると私は受けとめています。で、この作品は商売の神様でもあるマーキュリー像というタイトルが付けられておりますが、その制作にあたり多大な影響を与えたモデルが存在すると言われています。それこそが、ジェシー・オーエンスなのです。

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ふう。やっとライカとつながりました。ベルリンオリンピックから50年を経て、金メダリストであるジェシー・オーエンスの偉業を讃えるという主旨の記念モデル。IMAIコレクションで目の当たりにし「こいつはスゴイ」と感心してしまったのは、マーキュリー像のモデルとなったジェシー・オーエンスのことを大人になって知ることができたから。ヒトラーのプロパガンダとは裏腹に、有色人種のジェシー・オーエンスは米国人の陸上選手として金メダルを獲得した。その栄光をふたたび蘇らせるための記念モデル。これは1986年の時点でライカは差別や偏見、理不尽な同調圧力に屈しないという意思を偉大なアスリートにあやかって表出していたことの証です。こんな記念モデルを出せるカメラメーカーは他にない。だからこそ「こいつはスゴイ」のです。

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あらためてマーキュリー像を眺めてみれば、ライカR4記念モデルに同梱された大型リーフレットにも掲載されているジェシー・オーエンスの横顔の印象を読み取れます。舞台は1936年のベルリン。レニ・リーフェンシュタール女史による超絶的な記録映画『オリンピア』は、1年半をかけ編集された2部構成の大作。1940年にドイツの同盟国となった戦前の日本帝国においても大々的に上映されたことでしょう。マーキュリー像の作者である笠置季男氏も同作を見ようと映画館へと足を運び(果たして地下鉄で向かったか?)、世界最速を競う韋駄天の表情を脳裏に焼き付けた。そんなストーリーを妄想してしまう今日この頃なのです。