1972年のライカフレックス

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村上春樹さんの小説に
「1973年のピンボール」という作品がありますが、その前の年に起きた世界的なトピックとしてはミュンヘンオリンピックがあります。旧西ドイツを代表するカメラメーカーであるエルンスト・ライツ有限会社は、母国の都市におけるオリンピック開催を記念して五輪のマークを刻んだカメラをエディションナンバー入りで1000台、ナンバーなしで追加された200台の計1200台ほど製作したと伝えられています。

1972年のライカフレックス。この時代のライカは、1950年代から黄金期を迎えていたレンジファインダー機の王者であるライカM型の人気に陰りが生じ、世の趨勢はニコンFを始めとする一眼レフに傾きつつあったこともあり、一眼レフのライカフレックスの販売にも注力しておりました。ライカフレックスはまさしくライカ的なもの作りのメソッドで製造されたカメラで、国産機とは一線を画する仕立ての良さが体感できるカメラです。


中古カメラ店のウィンドウは

直射日光の当たらない北向きが理想です。その一等席に飾られていたオリンピックマーク入りのライカフレックス。記念モデルだから、値段もそれなりに高い。ふつうのライカフレックスの値段を引いたらそれが五輪の刻印の値打ちになるのか? などと悩むうちに売れてしまう。しばらくすると別のカメラ店にエディションナンバーの異なるライカフレックスが現れ、これまた逡巡しているうちにくだんのカメラは姿を消す。という繰り返しだったのです。

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ところが、本連載でオリンピックマーク入りのカメラについて書いた勢いで、エンブレム問題などを議論していた相手の一人から「井上さん、ライカフレックスのオリンピックモデルって興味あります?」と切り出されたものですから「もちろんです」と即答し、晴れて五輪マーク刻印モデルのオーナーとなりました。悩んでいた時間が長かっただけに、手にしてみると感慨ひとしおです。

 

ペンタプリズム部に刻まれたのは
言わずと知れた五輪のシンボルと、開催年を示す72の数字だけ。ミュンヘンのエンブレムは何処にも見当たりません。
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ちなみにミュンヘンの
エンブレムって、こんなデザインでした。人間の脳が認識する遠近や奥行きの仕組みを利用した視覚効果が興味深いです。でも、これをライカフレックスのどこに刻印するのが適切かと問われれば、どこにも刻まなくいいですと答えたくなる気もします。ロンジンの腕時計にミュンヘン五輪記念モデルが存在しますが、エンブレムは文字盤に印刷せず、ひそやかに裏蓋に記されています。腕時計なら文字盤全体がこのエンブレムでも面白かったかもしれません。

さて、このライカフレックスが送られてきた宅配便の段ボールは3辺が1メートルの100サイズ。カメラ1台にしては大きすぎです。実は、ライカフレックスと同時に「ベローズを使う100ミリのマクロなんかも興味あります?」と打診していただいたものですから、ここは全部引き受けるのが礼儀と心得て「もちろんです」とお応えしたのでした。このレンズ、かつて固定鏡筒のモデルは持っていましたが、ベローズ仕様は初めてです。
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これぞ1972年である
と実感できる、重厚なアナログ感覚。さすがライカ純正のアクセサリーだけあって繰り出しの操作感が滑らかで官能的です。ベローズも一般的な4角形ではなく手間のかかる8角形の折り込みなので雰囲気が高級なだけでなく内面反射も極めて少ないと思われます。レンズをいっぱいに繰り出すとフィルム1コマの横幅36ミリに実寸36ミリの被写体が収められる等倍マクロの世界。この濃密な装備一式を、いつも使っているものより大きめなカメラバックに収めて出かける休日をイメージしながら、ひとりほくそ笑んでいるのです。