レアな逸品をカウンター越しに
「井上さん、こんなの入ってきたんですけど‥」と、行きつけの店でカウンター越しに出てきたカメラ。寿司屋と同じで馴染みになるとカメラ屋でもガラスケースに入る前の仕入れたままのネタを見せてくれたりするもので、今回もそのパターンだったのですが、普通のカメラに比べると随分と小さなサイズです。体積にすると大体ウニやイクラの軍艦巻きひとつと同じ程度。手のひらにポンと収まるサイズながら、握り寿司とは違って金属とガラスを原材料としているのでズッシリとした心地よい手応えを感じます。

「これくらいでどぉですかね？」と、店の人が電卓をはじいて見せてくれた値段は予想外の安さでありました。しかも、あれこれ付属品も付いている。そこで誰より先に見せてくれたこのネタを頂戴することにしました。決断までの所要時間は約２秒。サッと決めてパッと買う。こっちが気持よく買えば、お店の人も気分よく売れる。その積み重ねが、いわゆるツーカーの間柄を作るんです。

テッシナという名のカメラ
世の中には星の数ほどカメラがありますが、このテッシナというカメラはメジャーな銘柄ではなく、どちらかといえば知る人ぞ知る機種かと思います。原産国はスイス。カメラといえば現在では日本、少し前ならドイツ、それより昔の木製カメラなら英国製が主流であって、スイスのカメラというのはマイナーな存在です。スイスの精密工業といえば即座に時計産業が思い浮かびますが、このテッシナを製造したコンカヴァ社は、実はロレックス用の歯車なんかを作っている会社だったりするのです。

精密さが凝縮された存在感
要するに、腕時計の世界では標準的とされる加工精度やスケール感でカメラを作っちゃったものだから、普通のカメラに慣れきった感覚からすると密度が濃くて精密で小さくてヤバイ。時計の世界からカメラの世界へと“越境”してきたことにより、テッシナはその存在感を際立たせているのだと思います。

世界最小の35ミリ判二眼レフ
カメラの分類として専門的なことを記すなら、テッシナは世界最小の35ミリ判二眼レフとなります。発売が開始されたのは１９５７年で20世紀の終わり頃まで生産されていたそうです。二眼レフというのは撮影に使うレンズに加え、反射鏡を使ってファインダー像を映し出す別系統のレンズを搭載しているカメラのこと。レンズ＝目玉が２つで鏡の反射（レフレックス）を利用しているから二眼レフ。このタイプのカメラは直方体のボディにレンズが上下に置かれているのが定石なのですが、テッシナは全然ちがう格好をしております。

超小型なのに本格的なスペック
カメラ正面の小さなスライドを開けるとレンズが２つ現れます。向かって左がファインダー用のレンズで鏡の反射を使って画像をカメラの天面に映し出します。向かって右のレンズは撮影用でシャッターが組み込まれております。こちらのレンズが捉えた画像もミラーを使って反射され、カメラ底面を走るフィルムを露光させる仕組み。だからフィルムに写る画像は左右逆像の“鏡文字”になってしまうので、プリントするときにはフィルムを裏返しにしてやる必要があります。シャッター速度は１／２秒のスローから最高速１／５００秒まで。絞りや撮影距離などの仕様も本格的ですが、すべて撮影者がマニュアルでセットする必要があります。唯一オートマチックなのはフィルムの巻き上げで、超小型のゼンマイが本体に内蔵されており、あらかじめジコジコとネジを巻き上げておけばシャッターを切るたびに自動でフィルムは送られます。

スパイが愛したテッシナ
本格的な撮影が可能で、フィルムの巻き上げが自動。しかも20世紀には公共の場所やオフィスでポケットから取り出したとしても誰も気に留めず、世界の何処でも簡単に手に入ったマールボロのタバコの箱に余裕で収められるサイズ。そこでテッシナは実際にスパイ活動の道具として使われていたそうです。テッシナのアクセサリーとしてボディ底面に装着できる腕時計式のベルトもありましたが、これは目立ちすぎるので本職のスパイ向きとは思えません。むしろ底面に装着可能な簡易マニュアルのプレートのほうがプロっぽい雰囲気です。現場の緊迫した状況下で万が一カメラの操作方法を失念してしまっても、このプレートを着けておけば大丈夫。さはいえどテッシナは超小型カメラなので、操作マニュアルの文字が極端に小さいんですよね‥。

最近ちょっと小さな文字が読みづらくなってきているので、操作方法はよくアタマに入れてから撮影したいと思います。でも、21世紀の只今現在、元スパイカメラの定番を手にしてどんな被写体に向き合うべきなのでしょうか？

つづく>>>