幻のNikkor F

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ニッコールという名前を
聞いて「それはニコンの高級なレンズに付けられている名称ですよね」と反応された方は、健全なカメラ愛好家だと思います。その一方で「それは、もしかして極めて珍しい、ニコンと刻印すべき所に付けられた別名称で西ドイツにおいて云々」と語り始める方がいらっしゃるとすれば、それはもう筋金入りのニコン党であると思います。今回のテーマは、その筋金入りの話です。

ニコンFといえば、20世紀の日本を代表するカメラの傑作品です。日本光学が戦後に平和品へと転向するにあたり、光学兵器並の設計思想や品質管理のもと作り上げたレンジファインダー式のニコンSシリーズは極めて丈夫なカメラでした。このニコンS型の最終機ニコンSPをベースにして作られた一眼レフがニコンFなのであります。一眼レフとしては他メーカーと比較して後発の1959年の発売でしたが、持ち前の堅牢さとニッコール交換レンズのラインナップの豊富さから、プロ必携の道具として世界を席巻していくことになります。
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西ドイツ、ケルン。1960年のフォトキナ。
ここでニコンFにライバル心を燃やすカメラが展示されておりました。ツァイス・イコンの一眼レフ、コンタレックスです。レンズ交換式のフォーカルプレーン式一眼レフで、製品カテゴリーとしてはニコンFと真っ向勝負となります。ツァイス・イコンは戦前からのドイツの名門でコンタックスというレンジファインダー式カメラを製造しており、ニコンSのレンズマウントはコンタックスを真似たものでした。とはいえ1950年代にはニコンは本格的に欧州への輸出を開始しておらず、ツァイス・イコンとしても気にとめる価値のある存在ではなかったのかもしれません。

しかし、ニコンFの登場により、ツァイス・イコンが動きを見せたのです。『我々が開発したコンタレックスを脅かすカメラは懲らしめてやらねばならぬ』と思ったのかどうか知りませんが、彼らは法的手段に訴えてきたのでした。

Zeiss IkonのIkonにNを付けただけのNikonというブランドは、類似性が高い。ゆえに西ドイツ国内において使用を差し止める。

(これに従わない場合、50万マルクの罰金を処すことになるのである)
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いや、それって言いがかりじゃないんでしょうか? と突っ込みたくもなるのですが、現実的な対処方法として日本光学はNikonの代わりにレンズの名称として使用していたNikkorブランドでニコンFをこしらえて西ドイツの国内に流通させたのでした。正面のプレートやボディ右肩パーツの刻印、そしてアイレベルファインダー内側のアルミパーツに印刷されているロゴもNikonからNikkorに換装されております。

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Nikkor Fは、1960年代の初頭から末期まで西ドイツだけで流通していたレアなモデルです。同じドイツ語圏でもスイスとかオーストリアでは販売されていなかった模様。正確な台数も、どうやら割り出せないようです。ツァイス・イコンは、円安を背景に押し寄せる日本製カメラの波に呑まれ1970年代の初頭にはカメラ製造からの撤退を決定します。

普通のニコンFなら中古市場で潤沢な在庫を確認できますが、ニッコールFとなると、いわゆる珍品の類ですね。NikonでもNikkorでも、その性能に変わりはありません。でも、このわずか数文字の刻印の違いは、20世紀のカメラブランドの地殻変動を示す貴重な文化的遺産でもあると思います。