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女王陛下のスパークリングワイン!
The Queen’s Bubbles -2-

 

ロンドンから南へと下り、イングリッシュ・ワインの曙を支えるワイナリーの多くが集中するサセックス州とケント州を訪ねた。フランスでもイタリアでも、ワイン産地のドライブと言えば、折り重なるように続く丘陵の斜面に垣根仕立てのブドウ樹が緑の葉を揺らせて……というのが典型的な風景だが、イギリスではいささか事情が異なる。行けども、行けども、道路からブドウ畑や醸造所の建物が見えないのだ。そのわけは、ひとつにはイギリスの田園に特徴的な、ヘッジ(灌木による垣根)の延々連なる造りによる。「イギリスは隠す文化、フランスは見せる文化」と言われるが、ヘッジは“隠す”方の象徴である。南イングランドではヘッジどころか、あちこちで道の両側の木が緑のトンネルを成し、昼なお暗い道を行くことになる。カーナビやグーグルマップを駆使して、ワイナリーの入口にたどり着くときの感慨はひとしおである。もうひとつの理由は、まだまだブドウ畑の面積が小さく、麦畑やリンゴなどの果樹園や放牧場など、従来の農地・牧草地と比べて目立たないためだ。現在、ブドウ畑はイギリス全土で約1600ヘクタール。この面積は、例えばチリの大手ワイナリーC社が1社で所有する畑の4分の1程度にすぎない。

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開拓者たちの横顔

「イギリスにおけるワイン造りは、まだまだ年若く、こぢんまりとした産業なのです。しかし、それゆえに敵味方の別なく、互いに助け合って品質を上げ、成長していこうというムードが生産者たちの間にあります」と説明するのはイングリッシュ・ワイン・プロデューサー(英国産ワインのPRを行う生産者組織、通称IWP)のジュリア・トラストラム・イヴさん。ワイン商出身の彼女はイングリッシュ・ワインのすべてに精通する生き字引的存在だ。今回の取材に際し、われわれのために、テイスティング付きのプレゼンテーションを行ってくれた。例えばこの連載の1回目で述べた〈リッジ・ヴュー〉では自社ブランドの他に、複数の他社銘柄の醸造を請け負っており、ワインメーカーのトレーニングも引き受けている。2013年9月末にロンドン市場でワイナリーとして初の上場を果たした〈ガスボーン〉は、若いワイナリーだが、最近まで〈リッジ・ヴュー〉に醸造を委託していた。当初の醸造責任者も同社で修業を積んだ人物だったという。

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ジュリアさんによれば、イングリッシュ・ワインは歴史が浅い分、新規参入の自由度が高く、それがワイン産業の活気とワインのスタイルの多様性につながっている。すでに述べたように、〈ナイティンバー〉の創業者はアメリカ人のアンティーク蒐集家、〈リッジ・ヴュー〉の当主はコンピュータ関連ビジネスからの転身。〈ガスボーン〉の先の所有者は南ア出身の整形外科医だった。イギリス西端のコーンウォルで評価の高いスパークリングを造る〈キャメル・ヴァレー・ヴィンヤード〉のオーナーは元英国空軍パイロットである。

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世界一のワイン好き

〈ナイティンバー〉の快挙以降もワイン誌主催のコンペティションなどで、イギリスのスパークリングワインはシャンパーニュやスペインのカバ、イタリアのスプマンテと肩を並べ、高い評価を受けてきた。2005年のインターナショナル・ワイン・チャレンジで〈キャメル・ヴァレー〉のブリュット(辛口)が250ものシャンパーニュを退けて金賞に輝いたのは、その栄光の代表である。ワイン造りの経験が浅く、ブドウの樹齢もまだまだ若いイギリスのワインがなぜ“古豪”たちと伍することができるのか? この問いの対する答えを声高に言うほどイギリス人たちは高慢ではない。しかし、そこにはイギリスこそが──生産は他国に任せてきたものの──歴史的にワインの消費と評価において世界を引っ張ってきたという自負があるのは間違いない。百年戦争が終わるまでボルドーはイギリス領だった。最も権威のあるワインの教育機関WSETはロンドンにある。世界のトップに君臨する銘醸ワインの価格を左右するのはサザビーズやクリスティーズがロンドンで開くオークションだ。イギリス人は元々ワインにうるさい。彼らが手がけるワインが駄酒であろうはずがないのだ。

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2011年4月、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式で振る舞われたのは〈チャペル・ダウン〉(ケント州)のスパークリングだった。12年、エリザベス女王在位60周年を祝うダイヤモンド・ジュビリーのメインイベントでは〈ナイティンバー〉で乾杯が行われた。同年7月から8月にかけて開催されたロンドンオリンピックの公式スパークリングに選ばれたのは同じくケント州の〈ハッシュ・ヒース〉のロゼだった。畳み掛けるように開催されたビッグイベントがイングリッシュ・ワインのPRに大きく貢献した。ロンドンの名だたるレストランやバーのワインリストには当然のように自国のスパークリングの銘柄が並ぶようになった。“イギリスの泡”は文字通りコルクを吹き飛ばしてスパークしたのだ。

〈ナイティンバー〉の近くに15世紀から続くホワイト・ホース・インというパプがある。ここでは5年前から同社のクラシック・キュヴェとロゼを置いている。「パブでスパークリング」は、イギリスの新たな正統になるかもしれない。

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王室ワインが生まれる日

少し前までは日本でも、泡の出るワインならなんでも「シャンパン」と呼んでいたが、釈迦に説法的な説明をすると、シャンパン(=シャンパーニュ)と名乗れるのはフランスのシャンパーニュ地方で定められた製法で造られたスパークリングワインのみである。カバやプロセッコ(イタリア)も同様に、法律によって名称が守られている。それらに対して、英国の泡を示す「イングリッシュ・スパークリングワイン」という名称はいかにも陳腐に響く。この問題についてはずっと議論が繰り返されてきたようだ。ある者は、シャンパーニュ製法の祖とされるドン・ペリニヨンよりも先にイギリスにスパークリングワインが存在したことを記述した人物の名を取って「メレット」と呼ぼうと言う。またある者は、土地の古い呼称を引いて「ブリタニア」とするのがいいと主張する。それぞれの利害が絡んでいそうなことは容易に想像がつく。満場一致でキャッチーなネーミングが決まる日はどうやら近い将来ではなさそうだ。

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ジュリアさんが試飲させてくれたワインの中に、レイスウェイツというワイン商が手がけたものがあった。オーナーの妻バーバラ・レイスウェイツさんが手がけたワイフォード・ブリュットは、2013年3月にエキスパートを集めて行われたブラインド・テイスティングで、80以上の内外の銘柄の中から1位に選ばれた。この造り手が現在関わっているのが、ウィンザー城の城下でブドウを栽培し、スパークリングワインを造るというプロジェクトである。すでに1万6000本のブドウ樹が植えられたという。つまり、数年後には「王室ワイン」が誕生するということだ。このワインが一般の市場に出されるものなのかどうかは不明だが、英国王室のロイヤル・ブランドに勝るブランドはあるまい。

語るべきことがあまりにも多すぎて、肝心の味わいについて述べるのが最後になってしまった。イングリッシュ・スパークリングワインは生き生きとした酸味を持ち(“クリスピー”と表現される)、総じてエレガントである。造り手によって、よりまろやかだったり、キレがあったりといった違いがある。実際のところ、シャンパーニュと比べてどうか? それはご自身で飲んで判断していただこう。

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※『女王陛下のスパークリングワイン!』は雑誌アゴラ2014年1・2月合併号に掲載された「女王陛下の泡」を改題、加筆・再編集したものです。記事や写真の無断転載はご遠慮ください。(筆者)

 

Photographs by Taisuke Yoshida

 

 

Yasuyuki Ukita • 2017年1月31日


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