愛を告げる紫-1-

 

 

クレオパトラや秦の始皇帝も愛用した高貴の色「紫」は、アクキガイという巻貝の分泌液で染められたものだったという。紫外線に曝されることによって、褪色するどころか、かえって鮮やかさを増す神秘の色素。貝の乱獲と自然環境の変化で、ローマ帝国とともに姿を消したと思われていた貝紫染めがメキシコの鄙びた海辺で今も脈々と受け継がれ営まれている。そして、その命をかけた手仕事の背後には、愛にまつわる習わしが‥‥。

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片道8日間かけて通う“染色の海辺”

12月だというのに夏の暑さだ。安宿の1階にある食堂では、工場で使われるような強力扇風機が唸りを上げて回っている。入り口に4機、店内の壁や天井に7機。食堂全体で11機の扇風機が稼働している。最暑期の気温はいったい何度くらいになるのだろう。アステカ人のひそみにならい、暑いときには温かいものをと、ホットチョコレートを注文する。どでかいマグカップで出てきたそれはナツメグの強い香りがした──。僕はメキシコ・オアハカ州の海辺の町ラ・クルセシータに来ていた。ここでメキシコ先住民ミステコ族の男と落ち合い、貝紫染めの現場を見せてもらうことになっていた。

メキシコの国土は、地図で見ると、川の流れを遡ろうとする鮭の口先に象の鼻をぶら下げたような形をしている。太平洋に面した南部のオアハカ州は尾びれの付け根あたりに位置する。

小さな町の土産物屋などを冷やかして時間をつぶし、強力扇風機の食堂に戻ると、約束の男が待っていた。マウロ・アバクー・アベンダーニョ氏は、ここから長距離バスで西へ5時間、さらに乗り合いトラックで北へ1時間上ったところにあるピノテパ・デ・ドン・ルイス村からはるばるやってきた。

「私が貝紫染めを始めた1950年代半ば頃には、片道8日間かけて村から歩いてきたもんだよ」

とアベンダーニョ氏。一度出てくると、この近くの海辺で10日間過ごすというから、当時は1カ月近くに及ぶ長旅だったのだ。

 

希少さと神秘的な色合いが権力者を虜にした「ティルスの紫」

翌朝、われわれは暗いうちにホテルを出てタクシーに乗り込み、貝紫染めの行われる磯に向かった。ふだんはタクシーなどめったに使わないアベンダーニョ氏は助手席で居心地悪そうに身を縮めている。白み始めた空の明かりで、土くれの道の両側にパパイヤ畑が浮かび上がった。小一時間ほどで着いたのは、サン・アグスティンという名の入江。砂浜に置き去りにされたような海の家が数軒。遠浅の沖合に牛の腎臓のような色形をした岩が浮かび、その上を朝食を狙ってペリカンが滑空していた。

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アクキガイ科の貝による紫色の染色は、一説には7000年も前に地中海の人々によって始められたとされている。遅くも紀元前1600年頃には、貝紫染料やそれで染められた織物がフェニキア人(古代、地中海東岸地域に都市国家を建設した人々。航海術に優れ、海を渡って版図を拡大した)の重要な交易品であり、その有力都市ティルスの名から「ティルスの紫」と呼ばれたことが記録に残る。1グラムの染料を取るのにおよそ2000個の貝が必要で、それは当時、10〜20グラムの金と取り引きされるほどの価値だった。その希少さと神秘的な色合いが時の権力者たちを虜にしたであろうことは想像に難くない。

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シーザーは自らの衣服を貝紫で染め、クレオパトラはファルーカ(帆掛け船)に紫の帆を張ってナイルを航行した。また秦の始皇帝もこの染めに魅入られ、とくに勲功のあった臣下にのみこの色を身につけることを許した。わが国では、佐賀の吉野ケ里遺跡から貝紫染めの施された絹織物の切れ端が見つかっている。

古代において世界各地で広く行われ、ほぼ時を同じくして廃れたはずの貝紫染めが、なぜメキシコのオアハカで生きながらえたのか。ひとつだけ確かなことは、オアハカの貝紫染めだけが貝を殺さずに行われていたことが大きかっただろうということだ。近年、日本でも貝紫を復興しようとする動きがあるが、その方法は大量の貝をつぶして色素の元であるパープル腺を取り出すというもの。一方、アベンダーニョ氏らが受け継ぐオアハカの方法は、貝を殺すことなく分泌液だけを出させて使い、貝は海に戻す。資源保存の知恵が染めの文化を途絶えさせることなく存続させたのだ。

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雋晉エォ蜀咏悄・・010しばらく海の様子を眺めていたアベンダーニョ氏が、申し訳なさそうに言った。

「せっかく朝早くから出てきたけど、すでに潮が満ちている。次の干潮まで待つしかないな」

(つづく)

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Photographs by Takahito Shinomiya

 

Yasuyuki Ukita • 2017年4月29日


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