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エディなら行くぜ!-2-

 

この紀行文の前半で、ノースショアの大波を語るのに「20フィート」とか「40フィート」と表してきたが、ハワイでは波の高さを裏側(沖側)から測るということは述べておかねばなるまい。つまり、日本式に波の前面(陸側から見た面)から測ると、数値はその倍くらいにもなるということだ。となると、エディが乗ったといわれる件(くだん)の大波は、高さ20メートルを超えていたことになる。いったいぜんたいビッグ・ウェーバーというのは、どういう精神構造をしているのだろう?
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大切なのは、人間は無力だと知ること。
「ビッグ・ウェーバーに必要なのは、自然はコントロールできないという事実を理解することだ」と語るのは、ケオニ・ダウニング。“ザ・エディ(伝説的サーファー、エディ・アイカウの名を冠した大会)”第2回大会の優勝者だ。ワイキキでサーフィンショップを経営、ボードのシェーパーでもある。また彼の父親ジョージ・ダウニングこそは“ザ・エディ”開催実現のキーパーソンだった人物。15年前の優勝の日のライディングをケオニは振り返る。
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「あの日に限ってはすべてが僕のリズムだった。波は巨大で完璧。オフショアの風。僕はひとつのミスも犯さなかった。自然がたまたま僕と一体化していたんだろう。もしも翌日だったら、僕は惨めなワイプ・オウトを食らっていたかもしれない」
良い波というのは選ぶものではなく、ただやって来るんだ、とケオニは波の静かな渚のように穏やかな口ぶりで言うのだった。ビルディングのような大波に対峙して、恐怖心は湧かないのだろうか?
「もちろん怖いよ。経験や知識は恐怖を“箱”に押し込めることはできる。しかし、それを消し去ることはできない。よく聞かれるんだ、大きな波に乗るのと、小さな波に乗るのと、どう違うのかってね。僕に言わせれば、そこに違いはない。サーファーなら誰でも生まれて初めて乗った波のことを覚えているだろう。そのときに感じた高揚感と恐怖、アドレナリンが出る感じ‥‥それと全く同じものを僕は今も大波に乗るときに感じる。違いがあるとすれば、波のサイズだけだ」
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ケオニは、生前のエディ・アイカウのことを覚えている。エディは普段はとても物静かだったが、社交的な面もあり、パーティで弾くスラックギターの腕前はなかなかのものだったという。
「エディから僕が学んだのは、いつも慎ましい態度を取ること、水の中でもエゴのない振る舞いをすることだ。彼は決して人と波を奪い合ったりはしなかったよ」

 

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勇猛果敢な振る舞いを支えたもの
もうひとり、どうしても会って話を聞きたいビッグ・ウェーバーがいた。
その男と僕はワイメアのビーチで待ち合わせた。数日来の雨でベイの海水は赤褐色に濁っていた。ワイメアというのは先住民の言葉で“赤い水”という意味であったことを思い出した。波はせいぜい腰くらの高さ。目の前の同じ場所に20メートルもの波が立つとは、ちょっと想像ができなかった。
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先に到着していた男は、監視台の下で顔見知りのライフガードたちと談笑していた。がっちりとした体躯、海の塩が枯らしたにちがいないしゃがれ声。クラウド・アイカウが振り返り、深い鳶色の瞳が僕を捉えた。このときクラウドは55歳。第7回大会となった“ザ・エディ”に変わらぬ勇姿を見せ、大波に向かったのは、ほんの40日前のことだった。
「エディは私にとってまず兄であり、ライフガードとしてここで一緒に働いた仲間だ。世界で一番大きな波に乗った男であり、優れたフリーダイバーで、ミュージシャンでもあった。そして何よりも生粋のハワイアンだったよ。困った人がいたら助けること、家族を敬うこと、何かをやるなら見返りは期待せず真心を込めてやること。エディの遺したメッセージは、今も人々の心の中に生きている」
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彼から発せられるひと言、ひと言がワイメアの風に乗って水面へと流れていくようだった。クラウドが最初の“ザ・エディ”で勝者になったとき、2頭のウミガメが彼を導いて最高の波に出合わせたという逸話がある。そのいかにもハワイらしい神秘に彩られた話を、本人の口からもう一度聞きたいと思っていたが、それはやめておくことにした。
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Photographs by Tetsuya Ito, Yasuyuki Ukita

エディなら行くぜ!-1-

Yasuyuki Ukita • 2017年7月31日


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