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人生はカーニバル!-2-

 

「告解の火曜日」の午前8時。アフリカ系アメリカ人居住区の「H&Rバー」。この古ぼけたバーが〈マルディ・グラ・インディアンズ〉にとって特別な場所だという。パレードは早朝からだと聞き、早起きして来たのに、まだ何も起こっていない。店の前の路上では、地元の男たちが早くもビールを飲み始めている。男たちが挨拶を交わす。「よう、お前の家の連中はどこに陣取っているんだい?」そして、お決まりの台詞が続く、「よいマルディ・グラをな!」。

せがれの口上を合図に誇り高き部族の行軍が始まる

先に始まったのはズールー・パレードのほうだった。おなじみの山車とビーズ、跳ねるようなステップで進むブラスバンドの少年少女。そして大音量のラップ・ミュージック。ここでは群衆の9割以上がアフリカ系の人々だ。地元の人たちの不確かな情報を総合すると、お目当の〈インディアンズ〉のパレードは午後1時に「H&R」前をスタートするらしい。早朝からと言っていたのは、それぞれの部族内でのお披露目のことだったようだ。

頃合いを見計らってバーのあるコーナーに戻ると、朝とはうって変わった賑わいぶりだった。人垣の中心には、ボー・ドリスとその妻、そしてせがれが銘々の衣装をまとって立っている。羽根飾りとビーズと宝石とで、見るからに重そうなコスチュームの中で、どの顔も汗を光らせているが、その表情は、伝統を継承する者の自覚を湛えてか、神妙である。せがれの口上を合図にワイルド・マグノリア族の行軍が開始される。族といっても衣装をまとっているのは4人のみ。それに鳴り物を持った楽士と取り巻きが数人。あとは酔っ払いと物見の人たち。ローカルな感じとお囃子に似た音楽が日本の田舎の祭りを思い出させる。かつて中西部のネイティブ・アメリカンのダンス競技会「パイワウ」を見て、盆踊りに似ていると思ったことがあるが、まあ、そういうものなのだろう。

前方から別の部族が行軍してきた。スパイ・ボーイ(前衛)役のせがれが名乗りを上げ、相手を威嚇するような踊りを踊る。相手方もそれに応えて名乗り、踊る。かつてはここで武力衝突ということもあったのだが、現代では装束の豪華さを競い合う。地元の音楽家アレン・トゥーサンが「昔はだれかの頭をかち割ったものだが、今では、彼らは針と糸で相手を唸らせる」と書いているように。日暮れまで延々と続く行軍の間、この平和的衝突が幾度も繰り返されるという具合である。

高校のグラウンドの近くの路上でピンクの衣装の一団と出会った。マンク率いるゴールデン・イーグル族だ。甲高い声で敵軍の大将とわたりあっているのは前日に会った少女マーヴァだった。足を踏み鳴らし、顔をしかめて“新女王”もなかなかの迫力である。

そして、日常という名のピースフルな空疎が再び

夕方、歩き疲れて「H&B」で一服することにした。カウンターでは今年のパレードの首尾を批評しているのか、酔ってろれつの回らなくなった男が店主にからんでいる。フロアではジュークボックスのR&Bに合わせて女の子たちが腰を振っている。手招きされるままに僕も彼女たちに交じってステップを踏んでみる。もちろん、とても彼女らのように音楽そのものになっては踊れないわけだが、わずか半日〈インディアンズ〉たちの行軍のお供をしただけでも、なんだか、ずいぶんとこの街の人たちと近づくことができたような気がした。

一夜明けると、“灰の水曜日”。敬虔なクリスチャンはこの日から復活祭までの40日間、肉食を断つのだ。午後のバーボン・ストリートを歩いた。祭りの後。音楽は乏しく、車の音が現実的に響く。日常という名のピースフルな空疎。主を欠いたバルコニー。鉄のレースまで生気を失ったかのようだ。街路樹の枝にぶら下がった無数のビーズ飾りと路面から立ち上るすえたモルトの臭いと踏みつぶされた爆竹の紙箱だけが昨夜までの名残だ。土産物屋のスピーカーから『エイント・ガット・ノーバディ』が流れる。誰もいなくなっちまったよ、と。道端にへたり込む物乞いのうつろな目。お祭り騒ぎの多いこの街の新陳代謝は少々荒っぽいようだった。

ミシシッピの蛇行に沿って弧を描くように発達したニューオーリンズは、クレッセンド・シティー(三日月の街)という愛称を持つ。河畔に立つ貿易センタービルの最上階に昇り、夕闇の街を見下ろすことにした。あいにくの雨模様で、いかなる月も拝むことは叶わなかったが、霧に煙る大河を航く蒸気船の船影と囁くような街の灯は旅愁に満ちて、あたかも目で聴く音楽のようだった。夜が更けたら今一度バーボン・ストリートに舞い戻って、音の洪水のなかをあてどなく歩いてみようか‥‥。


午前2時。うかれ騒ぎの疲れが出たのか、いつになく通りは静か。もはや聴くべき音楽もない。突然稲妻が走り、猛烈な雨が路面を叩く。あっという間に通りは川のようになる。酔客たちがびしょ濡れになって駆けていく。両腕を上げ、天を仰ぎ、雄叫びを上げる者もいる。路上のトロンボーン吹きが『雨に歌えば』の一節を繰り返し演奏する。機を得て、通行人が次々にチップをはずんでいく。路傍によどむ雨水にネオンが映る。いささか自棄気味の演奏はますますテンポを速めていく。僕は、ただ立ち尽くしている‥‥。
ポール・サイモンの歌にこんな歌詞がある。「あなたの重荷をマルディ・グラに持っていって、音楽で魂を洗うといい」。

※『人生はカーニバル!』は「AL SUR」2001年夏号に掲載された「人生はカーニバル」を改題、加筆・再編集したものです。記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

Photographs by Tatsuya Mine

Yasuyuki Ukita • 2018年3月1日


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