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人生はカーニバル! -1-

 

ニューオーリンズに春の訪れを告げる謝肉祭、マルディ・グラは爆発のごとき勢いでもってその幕を開ける。「告解の火曜日」(毎年2月末か3月初め)をクライマックスとする、それまでの10日間、ダウンタウンの目抜き通りであるカナル大通りやセント・チャールズ通りは昼夜を問わず、ねぶた祭りの張りぼてのようなフィギュアを載っけた山車(フロート)が練り歩き、それらのデッキから善男善女が放り投げるいかにも安っぽいプラスチック製のビーズ飾りに、歩道を埋め尽くす幾万の──たいていは酔っ払った──ギャラリーたちがキャー、キャーと歓声・嬌声・奇声を発して群がる。スティングが「その通りに月さえ浮かんでいたら僕は透明人間にだってなれる」と歌った歓楽街バーボン・ストリートでは、路上の男たちの「乳首を見せろ」の挑発にバルコニーの女たちが艶かしいポーズで応える。


部族間の争いが祭りとなって昇華したパレード

「告解の火曜日」を翌日に控えた月曜の午後、僕はニューオーリンズ北郊の住宅街にいた。翌日に迫ったパレードに向けて衣装の最終チェックをしているはずの〈マルディ・グラ・インディアンズ〉に会って話を聞くためだ。

マルディ・グラのパレードには3つのカテゴリーがある。まず、もっともポピュラーなのが先述の、フロートとビーズのパレード。医師のグループ、美術学校のスタッフ、地元の仕事仲間などが「連」を組んで参加する。2つ目は、アフリカ系アメリカ人への表敬の意味から参加者が顔を黒塗りにして行進するズールー・パレード。そしてそれらの2つとは歴史的にも内容的にも一線を画しているのが〈マルディ・グラ・インディアンズ〉と呼ばれる人々によるパレードだ。その起源は、18世紀に遡る。ルイジアナがスペインやフランスによって支配されていた時代に、いわば被支配者同士だったこの土地の先住民と黒人が手を組み、両者間の混血も進んで、独自の融合文化を育んでいく。かつての部族間の抗争がキリスト教起源の謝肉祭に取り込まれ、勇壮な掛け声や陣形はそのままに、衣装の華麗さを競い合う模擬合戦となったのが今日のパレードということになる。パレードは「コール&レスポンス(呼びかけ歌)」と呼ばれる歌の掛け合いで展開する。〈マルディ・グラ・インディアンズ〉という言葉は、20の種族(トライブ)が残る彼らの総称であり、ニューオーリンズ音楽のひとつのジャンルを示す音楽用語でもある。


ゴールデン・イーグル族の大酋長、マンク・ブドローを訪ねた。
「(電話で話している相手に向かって)ああ、今年の衣装はピンクだ。ピーチじゃなくて、ピンクさ。そう、普通のピンクだ」
どうやらライバル部族からの敵情聴取だったらしい。受話器を置いたとたん、来客がドアの外で彼の名を呼ぶ。今度は敵情視察か。

出番を待つピンクの小さなモカシン

ドクター・ジョンやネビル・ブラザーズと競演するなどミュージシャンとしても有名なマンクは、その温厚でカリスマのある人柄から、“修道僧(マンク)”の名で呼ばれ、マルディ・グラ・インディアンズたちの精神的支柱として敬愛されている。「年に一度の晴れ舞台のために、われわれは1年分の貯金をはたくんだ」去年の衣装から再利用できるパーツを取り外しながら、マンクが言う。音楽と絵画制作(彼は絵描きでもある)と釣りとで充分に生活できるという彼の家は、お世辞にも高級とは呼べぬシロモノだった。玄関のドアの塗料は剥げ落ち、居間の床板は波打っている。「衣装を身につけると、伝統を継承しているという意識が目覚めるんだ。僕の場合は、とくにアフリカのルーツを強く感じるね」

勢いよくドアが開き、まだ生え替わったばかりの前歯が目立つ女の子がキックボードを片手にぶら下げて入ってきた。
「末娘のマーヴァだ。今年はこの娘がクイーンを務めるんだよ」
はにかむ娘を腰のあたりに抱きしめて、マンクはいかにも誇らしげだ。靴箱の上に、明日のデビューを待ちわびる一対の小さなピンクのモカシンが載っかっていた。

音楽、それは呼び覚ますもの

この街で発祥したジャズの立役者、ルイ・アームストロングの銅像が立つ公園の周辺は、ガイド本などには「夜間は近寄らぬ方が身のため」などと書かれるエリアだ。ライブ・バー〈ファンキー・バット〉はその悪名高い地域の一角にある。おりしも今宵はマンク・ブドロー、ボー・ドリスといった〈マルディ・グラ・インディアンズ〉のスターたちが出るという。ライブが熱を帯びたのは午後11時を回ったころ、〈インディアンズ〉たちが羽根飾りの付いた巨大な冠を揺らしながらステージに上がってからだった。


パーカッションとドラムがすべてをリードする。リズムがすべてのベースとなる。重量感のあるヴォーカルさえもが旋律ではなくリズムを拍つようなのだ。リズム──人はきっと生まれながらにそれをインプリントされているに違いない。ステージ上の彼らはそれをもともとのピュアなかたちで持ち続けているにすぎない。われわれは彼らの、生まれながらのパフォーマンスに撲(う)たれて、それを思い出す。長い長い人類の旅路の間になんらかの理由で意識の底に沈めてしまったものを。グルーブする、エスカレートする。このハコを占めるあらゆる国籍、あらゆる肌の色、年齢、バックボーンの誰もが仮の生を享けてこの世に生きていることを思い切りことほいでいる。体ごとことほぐ、これこそ音楽、これがダンス。しみったれた響きや陰鬱の調べは、ここにはない。すべては謳歌であり、賛美であり、歓喜である。肯定のシャワーが天から降ってくる。“鼓舞”という言葉がサウンドとなって体をめぐる。われわれはみんな、鼓の叩き出す音に舞うのだ。音楽──それは呼び覚ますもの。太古の記憶を、アフリカの生命の胎動を!
(つづく)

Photographs by Tatsuya Mine

Yasuyuki Ukita • 2018年2月1日


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